敦賀市議会は、本会議や委員会などでは多数決で物事を決めますが、代表者会議や議会運営委員会については原則全会一致制で進められてきています。←昔から…。
それは、それぞれの考え方を持つ議員が、それぞれ住民から選挙で選ばれて議会へ出てきていることを尊重するものであり、更に、合意のために話し合いを重ねるという場ともなっていて、とても民主的なやり方であり、弊害と感じる申し合わせがある中で、この事は他市に誇れるものと思っています
さて、最近、敦賀市議会で、日の丸を議場に掲げようと言う提案が議会運営委員会や代表者会議で相次いでいます。
これまでも、「国旗を議場に」という声がありましたが、反対する声もあるので、全会一致制のため強引には進められてきませんでした。
ところが、今回、議会運営員会や代表者会議で何度も出てきているところを見ると、何が何でも今期中にやりたいという強い思いがあるのかな…?と感じています。
なぜ、日の丸の掲揚に反対するのか…その思いを理解してもらえない歯がゆさ…。
日の丸はかつて侵略戦争のシンボルでした。
かつて読んだ新聞記事で、こんな事が書かれていた事を思い出します。
「船が攻撃されて海に放り出され、沈まないようにと必死で板きれにつかまっていたら、戦友が、日の丸がぬれないように高く旗を両手で掲げ立ち泳ぎしていた。板につかまるように、戦友に向かって叫んだが、彼は、日の丸が海につからないようと必死で、そのまま力尽き、日の丸とともに海の底に沈んでしまった」といった内容でした。
見方によってはお国のために命を落とした兵士の美談ですが、彼はいったい何の為に死んだのか、日の丸とは何なのか…涙が出ました。
これはほんの一例で、
かつて侵略戦争で多くの人々が命を落とし、その侵略戦争で自己犠牲的精神を鼓舞するための道具として日の丸の旗が使われ、先のような「日の丸が人の命より大事」というエピソードがたくさん実在することを、私は、高校時代に自ら参加した平和学習実行委員会で学びました。
私は、日の丸を見るとそれらのことが自然と思い起こされ、胸が痛み、辛くなるのです。
でも、それは、私だけじゃない…。
だから、日の丸が国旗とされるまで戦後から54年もかかり、しかも、国旗とする法律が国会に出された後、議論もろくにされず、わずか二ヶ月足らずで強引に決めてしまったのです。
さて、辛い思いがする人がいるにも関わらず、「神聖な議場に国旗がないのはおかしい」という理由だけで、日の丸を掲揚する意味が私にはまったく理解できません。
何故、そこまで「国旗掲揚」にみなさんこだわるのか…。
自衛隊がアメリカの戦争に協力する体制が強化され、憲法を改正するための国民投票法が施行され、自治体も「いつでもOK」のシステム構築が出来上がっている今、「国旗の掲揚を!」との声が、戦争へとつながっていくのではないか…と恐ろしくてなりません。
私がそう言うと、「考え過ぎや〜そこまで考えとらんで〜」と推進派のみなさんは言われるのですが…くどいようですが、侵略戦争の道具であった日の丸を議場に掲げ、深々と日の丸の旗に頭を下げることを強要する、という事の意味を深く考えずに推進しようとすること自体、どうなん?と思います。
物事が進むと、「揺り戻し」と言って、逆に戻そうとする勢力が出てくるものですが、議会改革が進む一方で、後退しようとする人達の声も大きくなるのかな…と感じる今日この頃です…