2011年06月29日
鯖江の選挙と平和行進
急きょ、午後から、鯖江の市議選の応援に行ってきました。
「街頭演説してきてください」と、原稿の代わりに3種類のビラを渡されました。
え〜っ 原稿無しですか…
ビラまき隊の二人といっしょに宣伝カーを走らせ、5カ所で街頭宣伝をしました。
炎天下なのに…つい演説に夢中になって、1カ所で20分ぐらい話してたみたいで…気づくとすでに4時。
急いで敦賀に帰って、5時半からの平和行進に参加しました。
平和行進が敦賀入りします
6月25日付けの福井新聞で紹介されていた「2011国民平和大行進」が6月29日の夕方、敦賀に引き継がれます。
「国民平和大行進」は今年で54回目。
全国11のコースがあり、8月の原水爆禁止世界大会に向け、歩いて広島を目指します。
ちなみに、「富山〜広島コース」が富山県朝日町を出発したのは6月9日。
その後、核兵器廃絶などを訴えながら富山県、石川県と縦断し、福井県入りしたのは6月24日でした。
6月29日は、敦賀北小学校前を夕方5時半に出発し、本町商店街、津内町を通って男女共同参画センターまで行進し、男女共同参画センターで平和集会を行います。
6月30日は、朝8時半に男女共同参画センターを出発し、三島町、呉竹町、中央町を通り、敦賀市役所で激励を受け、昭和町、野神、和久野を通り、市野々町、櫛林、桜ヶ丘町と行進します。
そして、午後に美浜町へ引き継ぎ、7月1日は若狭町からおおい町まで、2日は高浜町を出発し、午後に京都へ引き継ぎます。
富山〜広島コースが広島に到着するのは8月4日だそうです。
みなさん、一歩でも、二歩でも、いっしょに歩きましょう〜
2011年06月28日
小刀根トンネル
敦賀には、建設当時の姿を残す、現存最古の鉄道トンネルがあります。
まさに、オンリーワン
愛発地区の刀根へ向かうと…見えるけど…そのまま車道を走ると迂回してしまうため、車を停めてトンネルの方へ歩いて行きました。
映画「千と千尋の神隠し」みたい…ちょっとドキドキ…
トンネルのすぐ近くに「小刀根トンネル」とあります。
明治14年に貫通したそうです。
ちなみに、敦賀と滋賀の県境の柳ヶ瀬トンネルは、明治17年完成当時、日本最長(1,352m)で技術進歩に大きく貢献し、 現在、道路トンネルとして使用中では2番目に古いトンネルだそうです。
この小刀根隧道や柳ヶ瀬隧道を「欧亜国際連絡列車」が通っていたんですよね。
ちなみに、「欧亜国際連絡列車」は、東京〜敦賀間は汽車、敦賀〜ウラジオストック間は船、ウラジオストック〜ヨーロッパ間は列車という、果てしなく長〜くて乗り継ぎが必要(日本海があるし…)なのに共通の切符で行けたというからすごい
愛発には、「きわめて技巧的な城郭」「ここまで良好に管理され、遺構が完全に残っている城址は珍しい」と言われる国指定史跡の玄蕃尾城もあるし、史跡の宝庫です。
2011年06月27日
特別委員会が意見書提出を撤回
全員協議会の後に、急きょ、原子力発電所特別委員会が開催されることに…。
24日の特別委員会で全会一致で「エネルギー政策の見直し等についての意見書」を国に提出することを決めたのですが、その後、委員外議員で反対する議員も出て、「こんなもん通ったら、何もかもパァや!」という怒鳴り声まで廊下に響いたとか…。
そのため、議会最終日の30日にどう出るか? 不採択になるのでは?と少しドキドキしてたので、「やっぱり〜?」と思いながら、特別委員会を傍聴しました。
さて、今日の特別委員会では、「原発推進なのに、『脱原発』の言葉が一人歩きし迷惑」「誤解を招くようなものは議会として認められない」などの意見が多数出され、意見書提出を撤回することが決まりました。
今大地さんのブログでも紹介されていましたが、今大地さんが特別委員会で提案した意見書(案)をつくったのは、実は…無所属の今大地さん、増設賛成派の前川さん、そして共産党の私という異色?の組み合わせ。
考え方の違う三人が、小浜市議会が全会一致で採択した意見書をもとに、「エネルギー政策の転換や安全対策などを求める」という一致点でつくりました。
敦賀の子どもたちの将来を心配し、原発事故の不安を無くしたいというみなさんの願いを文章化したものです。
そして、特別委員会では、その意見書を更に、原発推進の方でも反対の余地のない意見書に修正し、全会一致で提出を決めたハズ…。
まぁ〜全会一致で提出が決まった時は、逆に提案した側が敦賀市議会の変化に驚いたのですが…。
さて、撤回されたので、当初の予定通り、議会最終日、議員提案することに…。
ちなみに、最初に私たちが提案した意見書(案)は以下の通りです。
「エネルギー政策の見直しを求める意見書(案)」
わたしたち敦賀市民にとって、現在もなお、深刻な状況が続く東京電力(株)福島第一発電所の事故は、けっして他人事ではありません。
敦賀半島には、日本原子力発電(株)の敦賀発電所一,二号機、日本原子力研究開発機構の「ふげん」「もんじゅ」、関西電力(株)の美浜一,二,三号機があります。
ひとたび福島原発のような事故が起きると、ほぼ敦賀市全域が発電所から半径20キロ圏内に入るため、「敦賀に住めなくなる」と多くの市民が不安を感じています。
よって、敦賀市議会は、敦賀の未来をになう子どもたちに安心して暮らせる敦賀のまちを残すため、国に対し次のことを求めます。
1,期限を定めてエネルギー政策を見直し、再生可能エネルギーに転換すること。
2,原子力発電所にかかる安全基準の抜本的な見直しを図ること。
3,原子力発電所周辺地域の防災対策の確立を図るために、国の責任において地域の安全対策として、避難道路や避難施設などを早急に整備すること。
4,よりいっそう原子力発電所の安全確保を図るため、原子力安全・保安院を経済産業省から分離・独立し、権限強化をおこなうこと。
そして、24日の原特で出された意見は…
●題名の「見直しを求める」は、原発政策を見直してくれと言っているようにとられるので、「求める」でなく「見直し等について」に変更を。
●「敦賀に住めなくなる」と言うのは決めつけで不安を与えるので削除。
●「期限を定めて」は難しいので削除し、「将来的に」を付け加える。(ちなみに、将来とは、3,4号機を増設し、もんじゅも運転再開した後の遠い将来…)
●「転換すること」は原発を否定することになるので「転換を図ること」に変更を。
●「抜本的な見直し」は具体性がないから削除を。
こうして、修正に修正を重ね、推進派の議員さんでも賛成するような意見書(案)が出来上がったハズですが…撤回されてしまって本当に残念です。
敦賀半島には、日本原子力発電(株)の敦賀発電所一,二号機、日本原子力研究開発機構の「ふげん」「もんじゅ」、関西電力(株)の美浜一,二,三号機があります。
ひとたび福島原発のような事故が起きると、ほぼ敦賀市全域が発電所から半径20キロ圏内に入るため、「敦賀に住めなくなる」と多くの市民が不安を感じています。
よって、敦賀市議会は、敦賀の未来をになう子どもたちに安心して暮らせる敦賀のまちを残すため、国に対し次のことを求めます。
2,原子力発電所にかかる安全基準の抜本的な見直しを図ること。
3,原子力発電所周辺地域の防災対策の確立を図るために、国の責任において地域の安全対策として、避難道路や避難施設などを早急に整備すること。
4,よりいっそう原子力発電所の安全確保を図るため、原子力安全・保安院を経済産業省から分離・独立し、権限強化をおこなうこと。
予算の討論と全員協議会(原発説明)がありました
今日は、予算決算常任委員会の全体会が開催されました。
一般会計補正予算の反対討論は…共産党市議団の私のみ。
反対少数(三人)で採択されました。
都市計画土地区画整理事業特別会計の反対討論は…共産党市議団の上原議員のみ。
反対少数(四人)で採択されました。
午後から全員協議会が開催され、原子力安全・保安院より、IAEAへの報告(福島原発事故について)の説明がありました。
私は、基盤上の地震動についての測定が130〜150秒で止まっているデーターを用いて地震の影響は無かったと判断していることについて問題を指摘するとともに、すべてのデーターを公表するよう求めました。
2011年06月26日
医療生協の総代会の後に原発学習会
医療生協の総代会が福井市の自治会館でありました。
総代会の後、そのままその会場で、医療生協の平野先生による原発学習会「原発事故と放射能と健康について…安心して住み続けられるまちづくりをめざして…」がありました。
内容は、ほぼ前回と同じだったかな〜?
さて、今回、心に残ったのは…。
パワーポイントでスクリーン上に映し出された茂木清夫・東大名誉教授の「地震地帯と原発立地」の地図。
これまでに大きな地震があった地域が世界地図上に記され、その上に原発立地を明記すると…怖いことに、地震地帯に原発があるのは日本だけでした
学習会の後、質疑応答があり、鷹巣の男性が発言されました。
「50年前、鷹巣の砂丘に原発が立てられる計画があり、三人で反対運度を始めた。砂丘の上に原発を立てることの危険性を調べて、みんなに伝えた。魚を売る行商の人も広めてくれた。そして、その結果、砂丘の上でなく、岩盤がある敦賀半島に原発が建てられる事になった。福島原発の事故がおきて、あの時、原発に反対してくれてありがとう、と、50年経って初めて感謝された」と話されました。
2011年06月25日
広瀬隆さんの原発学習会
今朝は、医療生協の支部運営委員会。
7月の「けんこうまつり」の出店や新聞「けんこう」の配達者交流会、秋にするバス旅行など打ち合わせをしました。
その後、最近、新しく日本共産党に入られた方の歓迎会に遅れて参加しました。
そして、1時半からきらめきみなと館で開催された広瀬隆さんの学習会「原発のまち 敦賀にめばえる経済的な妙案−福島事故と浜岡停止から見えてきた日本の将来ー」に出席しました。
会場いっぱいの聴衆で、時間ギリギリに入場したため、座る場所を探すのに一苦労…。
想像以上の入場者に、びっくりしました
さて、広瀬隆さんの講演は初めて聞きましたが、容赦なくズバズバと切る語り口で、聞いているとスカッとする感じでした。
(内容はいずれホームページ上で報告します(←最近、こればっかり?)
帰り際に、元原発労働者(組合をつくってがんばってた方)が、女性週刊誌の今週号に2ページにわたって自分の記事が掲載されていることを私に教えてくれました。
忘れないうちに買わなくっちゃ
…でも、雑誌の名前を忘れてしまった〜
本屋で探さなくちゃ〜
(内容はいずれホームページ上で報告します(←最近、こればっかり?)
2011年06月24日
女性議員の会議の総会の打ち合わせ
敦賀市議会の原特の後、今大地さんとお昼ご飯を食べながら、福井県女性議員の会の総会について打ち合わせをしました。
とりあえず、総会とそのための三役会議の日程、会場などを相談しました。
この間、新しい女性議員が当選し入会してくれています。
昼食を兼ねて歓迎会をしようなど二人で盛り上がりながら、美味しい冷やしうどんを食べました
←福井名物「人形焼き」 激うま
原子力発電所特別委員会で意見書を提案
敦賀市議会の原子力発電所特別委員会があったので傍聴しました。
日本原電、関電、開発機構のそれぞれの原発の現況について質問があった後、
今大地議員から、意見書提出について提案がありました。
そして、時間をかけて文章を練り直した結果、「原発の安全基準の評価や見直し」「避難道路や避難施設を国の責任で整備を」「原子力安全・保安院の経済産業省から分離・独立、権限強化」などを求めるとともに、「エネルギー政策を見直し、将来的に再生可能エネルギーに転換することを図ること」を国に求める意見書が全会一致で採択され、特別委員会として議会へ提案されることになりました。
小浜市議会ではすでに意見書が採択されていますが、原発のある敦賀市で果たしてどうなるかと見守っていましたが…すごい
ただ、やりとりを聞いていると…「とりあえず、これからも原発の増設はしてもらって、当面は共生していきたい。そして、遠〜い将来、再生可能エネルギーへの転換を考えて欲しい」とのことですが、それでも、超画期的な出来事で感無量
明日の新聞が楽しみです
今大地議員から、意見書提出について提案がありました。
2011年06月23日
農産物直売所・ふるさと夢市場でお買い物
今日は午前中に議会が終わったので、敦賀市役所敦賀市農産物直売所・ふるさと夢市場に行ってきました。
野菜も豊富だし、手作りのお総菜や手作りのパン、お菓子etc.…。
豆腐や揚げさんや飲み物、アイスクリーム…。
苗や手芸作品もありました。
会計を済ませた後もついつい目移りして…「おはぎ」を追加で買ってしまいました
めちゃ暑い日でしたが…入るとヒンヤリ涼しい〜
そして、想像以上に品揃えが豊富でビックリ
非核平和都市宣言が委員会で不採択に
福井県原水協から出され、私が紹介議員なった「非核平和都市宣言を求める請願書」が、今日の総務民生常任委員会で不採択になりました。
あわら市では昨日、採択されたため、福井県内の市で「非核平和都市宣言」を採択していないのは敦賀市だけとなりました
昨年、国連で開催された(NPT)核兵器不拡散条約再検討会議では、5年前に比べ大きく前進し、行動計画を盛り込んだ最終文書を全会一致で採択しました。
「核兵器のない世界」の実現のために多くの国が具体的に動き出し、日本でも、全国で約8割の自治体が「非核平和都市宣言」を採択しているというのに…
「すでに平和都市宣言を採択しているから必要ない」という理由で不採択にしたそうですが…核兵器廃絶を宣言することに意味があるのですが、「核」=「原発」に固執しているのか…それとも、ただ世界の流れと無関係なだけ?
本当に、闘いがいのある敦賀市です。
2011年06月22日
鼓童の演奏に心躍りました ^^v
今日は一般質問の最終日でした。
さて、今日は、鼓童の敦賀公演でした。
うっかり忘れてて…開演20分前に「あ〜 今日は鼓童や〜」
チケット買ってないし、今回はあきらめるか…と、少し悩みましたが、
おととし、鼓童の演奏を見に行ったとき、私が若い頃にいた「わらび座」でよくやっていた大好きな鬼剣舞や西馬音内盆踊りなどの踊り、そして秩父屋台囃子などの演奏に感動して涙を流した事を思い出し、「やっぱり行こう」
超特急で準備して、娘と文化センターへ行ったら、すでに始まってました。
今回の鼓童の演目は、鬼剣舞など期待した踊りはなく、私の苦手な現代美術的?な演奏もありましたが、お囃子などステージと客席が一体になるような演奏がいくつもあり感動
太鼓って、本当に良いわ〜 太鼓、大好き
私が「わらび座」に入ることを決めたのも太鼓の演奏に感動したから…。
太鼓を聴きながら、若い頃を思い出して、胸が熱くなりました。
また、意外にも、娘が、「感動した」と喜んでくれたので嬉しかったです。
今度から、ちゃんと前売り券を買って、準備して行くことにします
おととし、鼓童の演奏を見に行ったとき、私が若い頃にいた「わらび座」でよくやっていた大好きな鬼剣舞や西馬音内盆踊りなどの踊り、そして秩父屋台囃子などの演奏に感動して涙を流した事を思い出し、「やっぱり行こう」
2011年06月21日
柳町さんの原発学習会
今日は、一般質問がありました。
大変勉強になる学習会でした。
その後、夜7時から、西公民館で、原発の安全性を求める嶺南連絡会主催の原発学習会がありました。
講師は、原発問題住民運動全国連絡センターの柳町秀一氏。
これまで連絡センターとして各電力会社に津波対策を求め、東北電力や中部電力は女川原発や浜岡原発の津波対策をおこなったが、東京電力は拒み対策をとらなかった。
また、日本政府は、IAEAの勧告を無視し、過酷事故対策をとって来なかったことなど、福島原発事故の問題点を明らかにし、今後の運動の課題など話されました。
(後日、ホームページで掲載します)
学習会の後、帰る間際に、疑問に思っていたことをお聞きする機会を得ました。
私「戦後、アメリカから原子炉の提供を受け、燃料の濃縮ウランについても強制的に提供を受けていたとのことですが、無料ですか? 買わされたのですか?」
柳町氏「もちろん、無料ではなくアメリカから買わされたんです」
なるほど…アメリカがタダで日本にやるわけ無いか…。
更に、日本に提供する濃縮ウランを作る過程で、アメリカは核兵器の材料となる高濃度のウランを作ることができる…なんとアメリカにとっては一石二鳥だったとは
(後日、ホームページで掲載します)
2011年06月20日
代表質問しました
今日は、代表質問の日でした。
予定では、今日、明日と二日間、代表質問の予定でしたが、
どうしても、何時になろうが今日中に代表質問を終える、と議長。
と言うことは、代表質問のしんがり、私まで順番がまわってくる
さて、朝10時に一番に最大会派の市政会の代表質問で始まり、答弁含め約2時間でお昼休み。
午後1時再開かと思いきや…「開会が遅れます」との連絡が入りました。
どうやら、市政会の代表質問に対し、意義を申し立て、発言の修正を求めた会派があったとか…。
思い当たる発言があったので、「やっぱり?」と思いました。
そして、代表質問の一番最後、私の質問が始まったのが夜の8時50分、終了したのが9時50分頃でした。(質問の内容については後日ホームページ上に掲載します)
どうしても、何時になろうが今日中に代表質問を終える、と議長。
敦賀短大の看護学部のみの四年制大学化について、「多分全議員が賛成しかねると思う」発言について、「全議員」と言いきって良いのか?と頭をよぎったのは私だけじゃなかったようで…。
その後、議運が開かれたりなんやかんや…議会の開会が遅れ、再開したのが夕方の4時15分。
2011年06月19日
粟野地区体育大会
今日は粟野地区の体育大会でした。
子どもの部で、な〜んと三位に
我が町内の小学生はわずか10数名…。
活気が減っていたのですが、子どもも大人も大喜び
町内が少し元気になりました
2011年06月18日
消防議会がありました
今日は、敦賀美方消防組合議会の臨時議会がありました。
消防署の訓練棟の建設の予算、敦賀の疋田に消防車を設置する予算、美浜の救急車の予算が補正予算で上げられました。
そして、な〜んと私が消防議会でこれまで求めてきた消防職員の増員について、条例で15名の増員が決まりました。
二ケタ台の増員は、数十年ぶり。
しかも、他の消防組合では、ここ近年、ほとんど例が無いとか…。
ただ、15名といっても充足率では68.4%止まり。
しかも、今年の募集は5名増(定年退職分も含めて9名募集)で、5カ年計画で15名増員するということ。
100%にするにはあと72名、全国平均76%まではあと18名です。
さて、消防署の方からは「山本議員さんの言う事はもっともです」「山本議員の言われることはみんな実現しますね。本当に有り難いです」と…。
それもこれも、市民の安全を守る立場で求めるから…?
これからも、住民の命、安全、財産を守る消防職員の充足率についてがんばって求めて行く決意です。
実は、敦賀美方消防署の職員の人数は、これまで国の基準の61.8%の充足率だったんです(全国平均は76%で、福井県内の平均も70%代)。
敦賀、美浜は原発が集中立地し、「もんじゅ」まであって…消防車や救急車などの機械の充足率は100%なのに、肝心の人が61.8%…
そのため、これまで、2回ほど、充足率の向上を消防議会の一般質問で求めてきたのですが…女性消防団員の登用や団員の定員増、消防職員のヨウ素剤の配備に続いて、あまりにスピーディーな対応に感無量
ちなみに、二ケタ台の増員は、数十年ぶり。
他の消防組合では、ここ近年、ほとんど例が無いとか…。
2011年06月17日
6.11環境学会のシンポジウムの報告
6月11日に、三重県で開催された日本環境学会のシンポジウム「脱原発・温暖化防止のエネルギー社会へ〜震災・福島原発事故を踏まえて〜」
の報告をホームページ上にアップしました
の報告をホームページ上にアップしました
(ホームページ6/11付け参照)
頂いた資料を見ておさらいしながら…だったので、2時間近くかかりました…
土日は粟野地区体育大会でつぶれてしまうので、
月曜日の代表質問の原稿を早くつくらないとアカンのですが…
今から徹夜でがんばります
月曜日の代表質問の原稿を早くつくらないとアカンのですが…
2011年06月16日
学習会「福島原発事故にどう向き合うか」
6月14日にあいあいプラザで、原発学習会「福島原発事故にどう向き合うか〜医師の立場から〜」(講師:平野治和医師・福井光陽生協病院院長)がありました。
一番心に残っているのは、福島県川内村の村長さんの避難放送。
村長「また川内村にお戻りになった時は、村の再生のためにいっしょにがんばっていきましょう。みなさん、お元気で…」
原発事故が起こる前までは、子どももお年寄りも、生き生きと暮らしていた様子が映像で映し出されていて…涙が止まりませんでした。
そして、講演最後のナターシャ・グジーの「いつも何度でも」(千と千尋の神隠し)の演奏の映像は、福島原発事故とチェルノブイリ原発事故の被災者のみなさんと重なり、胸が熱くなりました。
子どもの頃にチェルノブイリ原発事故で被災し、歌手となって日本で演奏活動しているナターシャさん。
何度かコンサートを聞いたことがありますが、村が汚染されたため、未だに故郷に帰られずにいるとのこと。
福島のみなさんは、いつ帰ることができるのでしょうか…。
一刻も早い事態の収束を心から願うと共に、決して同じ過ちを繰り返してはならない そのためにがんばらなくてはと強く思いました。
「いつも何度でも」
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
2011年06月15日
質問の締め切り日でした
今日、午後1時、代表質問と一般質問の発言通告の締め切りでした。
今回は、改選後ということで、各会派から一人ずつ代表質問を行います。
5つの会派が質問するので、代表質問は5名。
会派の人数ごとに時間配分や質問の順番が決まっています。
9名いる市政会は1番目で52分、8名の新政会は50分、市民クラブは3名で37分。
2名しかいない公明党と日本共産党敦賀市会議員団は、35分。
今回、私が代表質問の当番で(毎年、上原議員団長と交代ごうたいしてる)、5番目に代表質問をします。
ちなみに、一般質問は、13名の議員がされます。
こっちは、発言通告書の提出順にくじを引き、発言順が決まります。
上原議員団長が一般質問の一番くじを引いたので、私の代表質問のすぐ後に、上原議員が一般質問することに…。
さて、私の代表質問は、
1,原発政策の見直しについて
2,開発型大型公共事業の見直しについて
3,介護保険の見直しについて
そして、上原議員団長の質問は、
1,原発問題について
(1)原発の過酷事故 (2)原発の安全神話
2,再生可能エネルギー問題について
代表質問の日程は20日、21日で、一般質問は代表質問の後で、21日、22日。
実は、19日に粟野地区の体育大会があって、私は町内の体協代表理事なので、体育大会の準備からご苦労さん会の後片付けまで…超多忙です
そのため、できたら私の代表質問が二日目の21日になると良いなぁ〜と期待しつつ、20日に質問することになっても良いようにがんばって準備したいと思います
娘の世話のおかげでベランダの花が綺麗に咲いています。
1,原発政策の見直しについて
2,開発型大型公共事業の見直しについて
3,介護保険の見直しについて
1,原発問題について
(1)原発の過酷事故 (2)原発の安全神話
2,再生可能エネルギー問題について
予算決算常任委員会の総括質疑
今日(6/14)は、予算決算常任委員会の総括質疑の日でした。
詳しい内容は、後日、ホームページで報告しますが…(いつになるか分かりませんが…近々)。
それにしても、予算の総括質疑って難しい…。
基本質疑と違って意見を述べても良いし、市長の見解を求めることも出来るけど、
やれ「一般質問になってる」「基本質疑と変わらん」等々…ヤジが飛ぶ飛ぶ…
今日も、委員長「総括質疑の域を超えている」「質疑の意味がわからない」等々、
議員の質疑を止めまくり…
今回、私は、「敦賀市の住宅政策」と題して、「住み続けられる家・まちづくりと低所得者の住宅政策」について質疑しましたが、質疑を止められなかったところを見ると…「ギリギリセーフ」だったかな?
それとも…上原議員団長の後の残りわずか4分の質疑時間だったので、早口で何を言ってるかわからなかったりして…?
やれ「一般質問になってる」「基本質疑と変わらん」等々…ヤジが飛ぶ飛ぶ…
議員の質疑を止めまくり…
議会改革で試行錯誤の総括質疑なんですが…、
みなさん「まぁ〜委員長にとめられるまでしゃべってたら良いんちゃう〜?」
なんて、開き直って質疑してました。
みなさん「まぁ〜委員長にとめられるまでしゃべってたら良いんちゃう〜?」
なんて、開き直って質疑してました。
2011年06月14日
アメリカとの関係と原発…
1945年8月、米軍によって広島、長崎に原爆が投下され、終戦後の1954年3月にも米軍の水爆実験によってマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝し、日本は三度、被曝しました。
おりしも、1953年、アメリカが「原子力の平和利用」を訴えたばかり…。
アメリカは世界中から非難を受けました。
この危機をどう脱するのか…米国家安全保障会議は「日本に実験用原子炉を提供する」ことを提案しました。
米原子力委員会のトーマス・マリー委員曰く「広島と長崎の記憶が鮮明なときに、日本のような国に原子炉を建設することは劇的であり、これらの街での大虐殺の記憶から遠ざけるキリスト教徒としての行いである」…(ニューヨーク・タイムズ54年9月22日)。
さて、第五福竜丸が被曝する約2週間前に、初めて計上された日本で原子炉築造予算は…2億3500万円。
強行に推進していた中曽根康弘衆議院議員(後の首相)曰く、2億3500万円の根拠について「(核燃料となる)ウラン235の二三五ですよ(笑い)」(「天地有情 五十年の戦後政治を語る」1969年)。
米原子力戦略に従い、日本への原発導入に積極的に動いたのは中曽根氏だけはなく、当時、読売新聞社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(後の原子力委員会初代委員長)も…。
新聞とテレビをフルに使って「原子力の平和利用」キャンペーンに打って出ました。
正力氏の腹心、柴田秀利氏(後の日本テレビ専務)は「日本には毒をもって毒を制するということわざがある。…原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的にうたいあげ」ることが必要だと提案した、とのこと(「戦後マスコミ回遊」85年)。
当初、「我が国の原子力開発がスタートした際には、我が国の原子力開発はすべて国産技術を基礎から培養しようとする心構えであり、原子力技術の育成計画もこの線に沿ってたてられていた」(「昭和31年版原子力白書」)けれど、1955年に「日米原子力(研究)協定」を調印し、「研究」用にアメリカが日本に濃縮ウランを最大で6キログラム貸与することとなり、日本は貸与される濃縮ウランを使用するため、アメリカから研究用原子炉の購入をすることになってしまいました。
そして、「濃縮ウランの受け入れは、小規模かつ長期にわたって低いところから自力で原子炉技術を養っていくという考え方を、海外(アメリカ)からの援助を取り入れて急速かつ大規模に行うという風に計画を変える大きな要因となった」(「昭和31年版原子力白書」)とのこと。
原子力の研究計画もないのに原子炉築造予算を計上し(54年度)、導入する炉型の判断もなしに濃縮ウラン受け入れを決め、炉を設置する研究所(原子力研究所)設立は最後になり(56年)、世界に例のない「逆立ちした研究のスタート」と指摘されたそうです。
こうした「逆立ち」はずっと続き、55年の研究協定は、58年に動力用原子炉の開発を目的にした「日米原子力協定」に置き換えられてしまいます。
この協定で、アメリカからの日本への濃縮ウラン提供量を増やし、最大で2.7トンを貸与できることを明記し、実験用動力炉が導入されました。
更に68年に調印された「日米原子力協定」では、日本で建設中または計画・考慮中の原発に、今後30年間必要なウラン235の量を明記し、その総量154トンを日本がアメリカから受け取ることが義務づけられました。
日本原電敦賀原発や事故を起こした福島原発もこの中に含まれています。
1967年4月に政府の原子力委員会は、「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」を発表し、長期間にわたりアメリカ一国に頼ってしまうことは、望ましくない、と強調していましたが、未だに、日本にある原発54基すべてがアメリカで開発された加圧水型と沸騰水型です。
濃縮ウランも、今でも7割がアメリカの輸入に頼っています。
原子力安全委員会の「昭和62年版原子力白書」によると、日本の原発事業者がアメリカ以外からの濃縮ウランを混焼する場合、30%を上限にする契約を結んでいる、アメリカから制約が課せられている、とのこと。
更に重大なのは、1988年の日米原子力協定で、「核燃料サイクル施設」の建設をはじめ危険な計画が新たに動き出しました。
協定の付属書で、使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出して再び燃料にする「六カ所村商業用再処理施設」や、使用した以上の燃料(プルトニウム)を生み出せるとした高速増殖炉「もんじゅ」などを列挙し、アメリカの同意が与えられています。
これは、アメリカ自身、技術的に未完成だとして再処理施設の運転は行っていないにも関わらず、一連の施設建設への同意は、日本を「実験場」にすることを意味しています。
こうして進められてきた原発の大量建設は民主党政権にも引き継がれ、2010年6月、管首相は、相電力に占める原子力発電の割合を20年後に50%以上にすることを想定し、最低でも14基以上の原発を増設する「エネルギー基本計画」を閣議決定し、11月にはオバマ大統領との会談で、原子力分野での日米協力の推進を確認しました。
東日本大震災による福島原発事故を受け、管首相は「エネルギー基本計画」を「いったん白紙に戻して議論する」と表明しましたが、5月のフランスでの主要8カ国首脳会議で、オバマ大統領を前に「最高度の原子力の安全を実現する」と表明し、原子力発電を今後も続けていくことを国際公約しました。
以上、日本が原発ゼロの道に踏み出すためにも、アメリカ言いなりの政治を変えなくては…!と感じた「原発の源流と日米関係」(赤旗日刊紙記事)でした。
2011年06月13日
7.2「原発ゼロをめざす緊急行動」
原発廃止、エネルギー政策の転換を求める「原発ゼロをめざす緊急行動」が7月2日(土)午前11時から、東京・明治公園で開かれます。
この「緊急行動」の呼びかけ人は、安斎育郎(安斎科学・平和事務所所長)、飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)、伊東達也(原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員)、菊池紘(自由法曹団団長)、根岸季衣(女優)、野口邦和(日本大学専任講師)、肥田舜太郎(前被団協中央相談所所長)、本間慎(元日本環境学会会長)、湯川れい子(音楽評論家)…という9名の著名人。
実行委員会の事務局団体は、全日本民医連、全商連、新日本婦人の会、農民連、東京地評、全労連です。
午後1時からメーン集会を行い、渋谷にむけてパレードを行うそうで…私も、「どうしても行きたい」と、スケジュール調整中です。
「JIN-仁」にはまってます
市会議員になって、長年、テレビドラマとは縁が無い生活を送っていましたが、2009年10月から12月まで放送された「JIN-仁」は、すっごく良かったです
当時、夫が「面白い」と私に勧めるので、見たら、本当に面白い
現代の脳外科医の仁先生が、幕末の江戸時代にタイムスリップして、人の運命や歴史を変えることに苦悩しながら、現代の知識と幕末の人々の協力で、「手術」したり、「ペニシリン」を作り出して、人の命を救っていく…。
歴史上の人物がたくさん出てきて、迷える坂本龍馬が仁先生の影響を大きく受けて変わって行くところも面白いし、何より、優柔不断の仁先生が、けなげな咲ちゃんの叱咤激励で、立派に成長?していくところも見所ですかね〜
とにかく、毎回、泣かせる…
ところが、「JIN-仁」の最終回はあまりにもあっけなく…「え〜 これで終わり」と誰もが思いましたよね?
「何も解決してないよ〜絶対に続きがあるハズ」と「JIN-仁」に夢中になっていた家族や友人知人と話していたら、2011年に続きができると知って、今回の放送を首を長〜くして待っていました。
さてさて、選挙中の4月から始まった「JIN-仁」完結編
選挙中はもちろん見られるはずが無く…選挙が終わってから早速、録画で見ました。
まぁ、放送時間はたいがい忙しく、放送時間に見ることができないので録画を見るのですが…また夢中になって見ています。
でも、あと2回で終わるみたい…。
終わると楽しみが無くなるから終わって欲しく無いけど…最終回がすごく気になります
今度こそ、ちゃんと納得する終わり方になることを祈っています。
2011年06月12日
尾木直樹先生のこと
今日の福井新聞の別刷りに「尾木ママ流子育て指南」と題して、教育評論家の尾木直樹さんが、映画「ナニー・マクフィーと空飛ぶ子ブタ」のPR役親善大使に決まった…との記事が掲載されていた。
最近、「尾木ママ」の相性で親しまれて、テレビで引っ張りだこの尾木先生。
まだ私が市会議員になるずっと前…子どもを預けていた無認可の「つくしんぼ保育所」で、子育て講演会の講師で来られたことがある。
よく「赤旗」新聞に教育評論家として登場していた尾木先生の講演はとても面白く、子育ての悩みが吹き飛ぶようなお話だった。
その後、新婦人の子育て小組で、「子育てゼミ」と称して、アトピーや性教育、不登校の問題など6回の連続講座を企画したとき、教育問題の講師を尾木先生に依頼しようと尾木先生の家に直接電話をした。
そのころの尾木先生は、新聞の連載や講演活動はされていたけれど、テレビにはタマにコメントで出演されるぐらいで、講演料はそれほど高く無かった。
「学校の教育問題についてお話をして欲しい」とお願いすると、尾木先生は、旅費や講演料を若いお母さん達が工面するのは大変じゃないかと逆に心配され、「教育問題なら、私がわざわざ東京から行って話をしなくても、敦賀に組合活動をされている良い先生がおられるでしょう。運動をこれからも発展させる上でも、地元の先生にお願いする方が良いのではないか」とやんわりと断られた。
それでも、なんやかんや、先生は30分以上話をされた。←ほとんど覚えていないが…。
つくしんぼ保育所の講演で話しを聞いた、赤旗新聞の連載を読んでいる、と言って電話をしてきた見ず知らずの若いお母さん相手に、長々と電話で話しをしてくださった誠意ある尾木先生のファンになり、尾木先生が敦賀に来られると必ず講演を聞きに行くし、テレビに出演していると、ついつい見入ってしまう…。
テレビを見ていると…以前に増して「オネエキャラ」に磨きがかかりすごいことになっているが、話される内容はとても深い良い話で勉強になる。
これからも、大いに活躍され、多くの人に感動と癒やしを与えて欲しい。
2011年06月11日
環境学会のシンポジウムがありました
三重大学で環境学会のシンポジウムがありました。
原発問題について「福島原発の放射能漏れについて」「原発の事故隠しの問題」「エネルギーの転換について」等々…様々な角度から専門家のみなさんによる報告がありました。
「三重まで行って良かった」と思えるほど、とても深く、濃い内容でしたが…寝不足の頭で今はまとめることができないので、いずれホームページの方で報告させて頂きます。
予算決算常任委員会での基本質疑
今日(6/10)は、予算決算常任委員会の基本質疑の日でした。
全体会では通告した人が通告した事業の質疑しかできません。
でも、全体会の後に、総務民生、文教厚生、産業建設の常任委員会ごとに予算決算常任委員会の分科会が開催され、そこで、それぞれの担当の予算については詳細に質疑することができるので、全体会では上原議員も私も所属していない産業建設常任委員会関の7事業(農業、建設など)について質疑しました。
ちなみに、全体会は、51事業について9人の議員が質疑をしました。
それぞれの議員が様々な視点から、予算で上げられている事業について質疑するので、聞いていて面白いし勉強になります。
それにしても、26人議員がいて9人…しかも、新人議員が誰も質疑しないのは残念…
その後、分科会が開催され、私は担当する文教厚生関係(敦賀病院、福祉、教育)の事業について詳細に質疑をしました。
さて、次は、14日。
予算決算常任委員会で総括質疑が行われます。
総括質疑は予算構想など市長の見解を求めることができるので、これまた聞いていて勉強になるし面白いです。
RCNで放映しないのがもったいないくらい…!
ようやく今議会から、本会議のインターネット中継、録画放映ができるようになったところですが、一日も早く、委員会の様子もみなさんに見て頂けるようにがんばりたいと思います。
2011年06月09日
今日から議会…どうなる短大!?
今日から6月議会が始まりました。
朝10時、議場に入ったらクーラー効きすぎで、さ、寒い…
風邪が完治していないのに、「クールビズだから〜」と薄着で議場に入った私。
あまりの寒さに、体が冷えて、頭がガンガンして、吐き気までしてきました…
前列の前川議員が、事務局に「寒い」と合図を送ってくれたのですが、すぐには温度が上がらず…結局、最後まで寒くて、本会議が終わる頃には、完全に体が冷え切ってしまい、お昼ご飯がほとんど喉を通りませんでした…また痩せるかも…
さて、午後から、敦賀短大等調査特別委員会が開催されました。
理事者側の説明は、「平成26年から看護学科の4年生大学にする」というもの。
前回(改選前)の市役所側の説明では、「3年の短大か4年生の大学」と言われ、一方、短大の方の説明は、「短大として残す。看護学科だけでなく他の学科もする」というもので、すれ違いがありましたが、その後、全体で話し合って方向性は統一されたとのこと。
それにしても、予定通り教師や生徒が集まり、順調にいっても、敦賀市が、毎年3億4千万円を負担しなくてはならない。
いくら、看護師の必要性は感じていても、敦賀市が市民の税金でどうしても大学をしなくてはならないのか?
市民の税金をつぎ込むことに市民は果たして納得するのか?
すぐに結論は出せませんが、いずれ(早いうちに)結論を出さなければならない、その結論を出す判断材料として調査をするのがこの特別委員会の役目…ということで、今後、うまくいっているところ、うまくいかなかったところの例を調査すると共に、市民の声を聞いていこう!という話しで今日の会議は終わりました。
敦賀駅周辺整備調査特別委員会がありました
今日(6/8)は午後から、敦賀市第6次総合計画の前期の基本計画について、議員説明会があり、2時半から、議会の「敦賀駅周辺整備調査特別委員会(略して駅特)」がありました。
駅特では、敦賀駅舎や周辺の整備構想について、これまで経過報告の説明を受けたのち、委員だけで審議(意見交換?)をしました。
私は、駅特は、傍聴はしたことあるけど委員としての参加は今回初めて。
他にも、私のように「駅特は今回初めて」という委員や新人議員で「今回、まったく初めて聞く話」という委員もいて、「震災をうけ、今後、財政的にもどうなるかわからないし、駅前の公共施設等の建設については慎重に検討すべきではないか」「PFI方式で成功した所はほとんど無い」など、いろんな意見が出ました。
どんどん膨らむ予算なども問題になり、思わず、私「みんなで予算に反対しますか?」と言ったら、すかさず他の委員から「予算にはすでに議会として賛成して進めてきているので、今から反対はできない」との声が…。
やっぱりそうくるか…
これからも駅特で、調査したり審議したり進めていきますが、市民不在の駅周辺整備にならないようがんばります。
さて、夕方、控え室に残って、明日から始まる議会の準備をしていたら、廊下で賑やかな声…。
福井市の新人議員さん、中村綾菜さんが前川議員のところに来られてました。
福井県女性議員の会に入会いただいていたので、早速、あいさつをしに廊下へ…。
そこへ今大地議員も来られ、その後、三人で話しに花が咲きました
フェイスブックとかツイッターとか…スマートフォンを使いこなしながら説明してくれる中村さんを見ながら、「若いね〜違うね〜」と今大地さんと二人で感心してしまいました。
私も初めて議員になったときは34才で若かったけど…今では46才。
携帯は来年には地デジの影響で使えなくなるという「お子ちゃま携帯」だし…フェイスブックってわけわかんないし…。
若いつもりでも時代について行けてない…とつくづく感じました
2011年06月08日
教訓がいかされてない安全対策
7日、敦賀市議会の全員協議会で、電力各社から福島原発事故を踏まえた原発の緊急安全対策の実施状況について説明があり、原子力安全・保安院から、福島原発事故の報告などがありました。(ホームページ活動報告6/7付け参照)
感想は、ひと言で言って「教訓がいかされていない」。
安全対策の中に、文部科学省が指摘するようなM8.2の地震を想定した対策なんて一つも無い…想定を越える地震が来てから、「想定外でした」と、慌てて地震対策するんでしょうか?
「市民の不信の声は聞いている。やってきた事実を正確に伝えることで信頼を得たい」と原子力安全・保安院は話されていましたが、安全神話を払拭して、キチンとした安全対策を行ってこそ、市民の不信、不安は払拭できると思うのですが…。
これからも、繰り返し安全対策を求めて頑張っていきたいと思います。
さて、岩手へボランティアに行っている金元ゆきえさんから、メールがありましたのでご紹介いたします。
釜石市の仮設住宅で「何でも相談会」で話を聞く新家竹雄・前大野市議と山川知一郎・あわら市議。
相談は、親の介護、家や収入源を失いの生活への不安、仮設住宅が劣悪で壁が薄く、暑い。知らない人同士で孤独…などなど。
2011年06月06日
岩手の金元さんからの報告
4日の夕方に福井を出発して、5日に岩手に到着した金元ゆきえさんからメールが来ました。
さて、10日から岩手でボランティア活動に参加するため、私の友人二人が9日に敦賀、福井を出発します。
そのため、昨日は、友人と支援物資をもらいに回りました。
私も行きたいのは山々ですが…9日には議会が始まるし、町内の仕事もあります。
いつか必ず行くぞ!と心に決めて、今はとにかく、自分の与えられた使命を果たすのみ…
その前に…風邪を完治させなくちゃ〜
今年の風邪はしつこい…ゲホゲホ…
以下、メールより…
今日午前中は被災地を案内してもらっています。
青空、穏やかな海。
しかし、頑強な防波堤は壊れ、集落も壊滅的。
釜石市唐丹地区
明日は、釜石市の仮設住宅で日本共産党の何でも相談会と無料フリーマーケットのお手伝いをします。
さっき、その案内に回りました。
お昼は、大槌町の被災した党員の方から話しを聞きました。
自分の家も流されたのに、町内会長として、また避難所の責任者として頑張ってきた話は、さすが党員だと思いました。
釜石市駅前の近くの商店街
明日の無料フリーマーケットに備え、20キロ樽の味噌を小分けする新潟の共産党阿賀野市議らボランティア。
青空、穏やかな海。
しかし、頑強な防波堤は壊れ、集落も壊滅的。
さっき、その案内に回りました。
お昼は、大槌町の被災した党員の方から話しを聞きました。
自分の家も流されたのに、町内会長として、また避難所の責任者として頑張ってきた話は、さすが党員だと思いました。
明日の無料フリーマーケットに備え、20キロ樽の味噌を小分けする新潟の共産党阿賀野市議らボランティア。
2011年06月05日
岩手へ第二陣出発…
4日の夕方、金元ゆきえさん(福井県党書記長)や山川ともいちろうさん(あわら市議)らが岩手へ支援物資を届けるために、福井を出発しました。
敦賀からは、たくさんのお米や新品の下着などさまざまな物資とともに、あるご婦人から預かった折り紙の駒…。
被災地の子どもたちが元気に遊んでくれたら…と思いを込めて折られたそうです。
みなさんのいろんな思いが込められたたくさんの支援物資、今日、岩手に到着する予定です。
2011年06月02日
内閣不信任決議案が否決
昨日、38度を超える熱で体中が痛くて…とんぷくを飲んでいつもより早く寝ましたが、なかなか熱が下がらず…夜中にもとんぷく飲んで、朝も飲んで、ようやく37度8分に…。
体中痛くてつらかったですが、がんばって9時からの「不適正処理」の議員説明会と議会運営委員会に出席した後、診療所へ。
インフルエンザの検査をしたら「−」で、インフルエンザでは無いことがわかって、ホッとしました。
さて、診療所の待合室で会計を待っていると、テレビで内閣不信任決議案の選挙の模様が放映されていました。
すると、待合室にいたお年寄りが、「こんなことやってる場合違うやろ。震災の復興に力いれなあかんやろに」と…。
私「ほんまやね〜。何で、震災復興に力合わせんのやろね」。
日本共産党は、内閣不信任案について棄権をしました。
その理由は、野党党首会談で、不信任案が可決された場合どういう展望をもっているのか、志位委員長が問いただしたのに対し、谷垣自民党総裁が「確固たる展望がない」と答えたため、「展望がないということは、混乱が起こることを認めたに等しいものだ。不信任案に賛成すると、自公の党略的・無責任な動きに結果として手を貸すことになる。これだけの危機的状況(大震災、原発事故)が続くもとで、賛成する態度はとれない」とし、「菅政権に対して信任できないという私たちの政治的評価はいささかも変わっていないから、反対することもしない」「選択肢として棄権するという対応でのぞみたい」というものです。
さて、不信任決議案は反対多数で否決されたとか。
これからは、考え方の違いは横に置いて、復興のために力を会わせてもらいたいものです。
日本共産党福井県委員会は、5月に続き、救援物資の輸送、津波被害の後片付けなどのボランティア派遣にとりくみます。
6月5日出発、6月10日出発の2陣です。
お米や野菜、洗剤などの救援物資へのご協力、ボランティア活動への参加をよろしくお願いします。
お問い合わせ、参加申し込みは 0776-27-3800 です。
2011年06月01日
議会の日程
いよいよ6月議会が始まります。
明日は、そのため、10時から議会運営委員会が開催されますが、その前に、9時から議員説明会、終了後に広報委員会があります。
さぁ〜ますます忙しくなるぞ〜っと思っているのに…なんと、私、風邪をひいてしまいました
寝不足が続いていたのもあるけど、娘が週末から風邪で寝込んでいたで、どうやらうつってしまったらしい…
喉が痛くて、体の節々が痛くて…熱も出てきました…
今日は二州家族会(精神障がい者の家族会)の総会だったけど…からだが辛くてその場にいるのが精一杯…でした。
まだ新聞の集金が残っているので気になりますが、読者に風邪をうつしてもアカンし…1日は「月初めからお金が逃げる」?とか言って、商売屋さんは1日の集金はイヤがるらしい…等々、自分で自分に言い訳をして、明日の会議にそなえて、今日は早めに寝ることにします。
ではまた
9日木 本会議 開会 市長提案理由概要説明 議案説明・質疑・委員会付託
(予算決算常任委員会基本質疑・総括質疑通告締切)
10日金 委員会 予算決算常任委員会(補正予算基本質疑)
14日火 委員会 予算決算常任委員会(補正予算総括質疑)
15日水 休 会 (代表質問・一般質問発言通告締切)
20日月 本会議 代表質問
21日火 本会議 代表質問、一般質問
22日水 本会議 一般質問
23日木 委員会 総務民生常任委員会 産経建設常任委員会 文教厚生常任委員会
24日金 委員会 原子力発電所特別委員会
27日月 委員会 予算決算常任委員会(補正予算採決)
30日木 本会議 委員長報告〜採決 特別委員会中間報告 閉会
(予算決算常任委員会基本質疑・総括質疑通告締切)
10日金 委員会 予算決算常任委員会(補正予算基本質疑)
14日火 委員会 予算決算常任委員会(補正予算総括質疑)
15日水 休 会 (代表質問・一般質問発言通告締切)
20日月 本会議 代表質問
21日火 本会議 代表質問、一般質問
22日水 本会議 一般質問
23日木 委員会 総務民生常任委員会 産経建設常任委員会 文教厚生常任委員会
24日金 委員会 原子力発電所特別委員会
27日月 委員会 予算決算常任委員会(補正予算採決)
30日木 本会議 委員長報告〜採決 特別委員会中間報告 閉会