体が不自由になった父が生きている内に親孝行を…という弟の提案で、17日から19日まで、両親と弟と、故郷の長崎の平戸へ行ってきました。
17日早朝、息子に近江今津駅まで送ってもらってまずは新大阪へ。
新大阪で両親と弟と合流し、新幹線や特急を乗り継ぎ佐世保へ。
佐世保でレンタカーを借り、私の運転で、今回の目的の一つ、母の実母の墓参りに…。
複雑な家庭の事情によって、母は実母のお墓がどこにあるのかわからず、お墓参りはこれまで一度もしたことがありませんでした。
前もってお墓があるところを調べていたものの、カーナビに案内されるまま小高い山、くねくねした狭い道を上ったり降りたり…ほんまにこんなところにお墓があるの?と不安に思っていましたが、無事、到着。
管理をして下さっている遠い親戚の家の庭を通していただき、さらに山の中を歩いて行くと…昭和19年、母が4才の時、お腹の赤ちゃんとともに41才で亡くなってしまった母の実母のお墓がありました。
「母に実母の墓参りをさせてあげたい」という念願がようやく叶いました。
佐世保での墓参りの後、平戸へ車を走らせ、平戸大橋を渡って1時間ほどで到着。
次の目的は18日の「平戸ジャンガラ踊り」です。
もともと「ジャンガラ」は、昔から、中野地区をはじめ平戸島の数カ所で踊り継がれている雨乞いの踊りで、「平戸ジャンガラ」は、父の父(私の祖父)が、戦前、中野地区のじゃんがらを教えてもらったのが始まりだそうです。
戦争で中断しましたが、戦後、父が小学5年生の時に、祖父がまた復活させたとこのこと。
平戸ジャンガラ組合を作り、父をはじめ戸石川地区の子どもたち(当時は長男だけ)を踊らせ、お囃子も戸石川の大人たちがやり、たくさんののぼりを他町内の大人たちに持ってもらって大勢でやっていたとのこと。
子どもの頃、平戸の絵はがきで、祖父が笛を吹いている写真は私の自慢でした。
私の父は子どもの頃は踊り手、大人になって笛…と代わり、私の弟も、平戸へ引っ越したばかりの小学6年生から、父のスパルタ指導のもと、踊り手をし、高校2年生から笛をするようになりました。
そのため、弟は「8月18日のジャンガラ踊りを、父が動ける間に見せてあげたい」と思っていたようです。
踊りは結構ハード!
父も亀岡神社の神主さんから御神酒を頂いて満足。
ちなみに、この神主さんは、夫婦とも私の中学、高校の同級生。
夕方6時過ぎまで平戸市内を練り歩き、踊ります。
この日、雨が降ったりやんだりの天気でしたが、一日中、ジャンガラのお囃子が街に響き渡っていました。
父の実家。今も牛が20頭ほどいます。品評会では、叔父の牛が、長崎県でグランドチャンピオンに輝いたそうです
平戸には、父方の94才の祖母、母方の92才の祖母(継母)がいます。
みな寝たきりで、お互いこれが最後かと思うのか、涙涙…
の別れでした。
特に父方の祖母は認知症で、数年前、我が子である父が分からず、「誰きゃ〜?」(誰や?)と言われて父はショックを受けていたのですが、今回は息子だとわかってくれたようで、父はおいおい
泣いて母親との別れを惜しんでしました。
その他のおいちゃんおばちゃんも年取ったな〜
また、みんな元気なうちに会いに来んなな〜と切なくなりました。
体が不自由になった父を連れての旅で大変でしたが、障がい者本位でないバリアフリー化の問題や老老介護の苦労も垣間見ることができて勉強にもなりました。
レンタカーを狭い坂道でこすってしまったり…ハプニングもありましたが、無事にみな帰って来れて良かったです。
さぁ、さっそく、今日は「8.20原発反対県民集会」です。
がんばって人を連れて行ってきます