18日は、大野市へ。
4時からシンポジウム「大野から見た若狭・福島」がありました。
明通寺の住職、中嶌哲演さんと、敦賀短大の講師、金田久璋さん、詩人・作家の正津勉さんがお話をされました。
金田さんは、若狭湾で津波が過去にあったことを調査しておられるそうです。
「企業は、調査の結果、津波はなかったと宣言したが、掘るところが悪かった。今後、我々で掘ることを検討している」「マスコミは、津波しか書いていないが、地震による炉心崩壊を指摘する学者もいる」等々話されました。
哲演さんは、「これまで『5重の壁』や『止める、冷やす、閉じ込める』を安全神話の根拠としてきたが、推進してきた人は、壁で閉じ込めなくてはならない放射能の恐ろしさは説明してこなかった」「死の灰の恐ろしさが分かると、火力は都会にあるのに、何故、若狭や福島に原発が押しつけられてきたか、何故、原発と引き替えに、たくさんのお金がおりるのか分かるのではないか」と話されました。
また、「原発事故後、直ちに影響は無いとしきりに言っていたが、年数がたって遺伝子レベルで影響が出る。社会的偏見にもさらされる。福島の子どもたちが心配」「ヒロシマ・ナガサキの被爆者は死亡され減少しているが、原発によって使い捨ての被曝労働者が新たに生み出されている」「ドイツが脱原発を決めたのは、死の灰は100万年の時間軸で管理しなければならず、40〜50年の便利な社会のために、将来にわたって子々孫々に負の遺産を残して良いのか?と考えたから」と…。
更に、「地震学者の石橋先生が、『若狭原発震災前夜の私たち』と題した講演で、若狭の原発を『浜岡よりも怖い』と警告を発していることを重く受け止め、考え行動していく必要がある」「原発を止めることで、美しい海を、豊かな海を再生させることができる、と良い方へ転換していける」「短期、中期、長期でエネルギーを考えていくことが必要」。
「フクシマが1945年の敗戦と重なってみえる。国策によって戦争は始まり、国民は押さえつけられ『やむを得ない』と戦争へ駆り立てられていった。そして、沖縄、広島、長崎と、とてつもない犠牲によって終戦を迎えた。フクシマも半世紀に及ぶ国策によって進められてきた結果、事故を起こした。ところが、推進している人は、原発が危険であり、事故を起こすということにまだ気づいていない。第2のフクシマ、第2のヒロシマ・ナガサキを繰り返さないと気づかないのか? そうでないであって欲しい」
そして、最後に詩を紹介されました(抜粋)。
後から来る者のために、苦労をするのだ、ガマンをするのだ。
後から来る者のために、山を、川を、海を綺麗にするのだ。
後から来る可愛い者のために、自分で何か出来ることをするのだ。
本当にその通りだと思いました。
子どもたちの将来のために、原発をなくさなくては
6時30分からは映画「ミツバチの羽音と地球の回転」がありました。
上関原発の建設に反対してがんばっている祝島の住民の運動やその暮らし、そして
スウェーデンでエネルギーの自立に取り組む人々を紹介するドキュメンタリー映画でした(2010年)。
祝島で、農業や漁業を営んで暮らしているみなさんが、「暮らしを守るため」「自然を守るため」、27年にわたり反対運動に取り組んでおられます。
推進派の住民と溝ができ引き裂かれながらも、1000回を超える毎週月曜日のデモ行進、中国電力との闘い…年老いたおばちゃんたちの必死の訴え、がんばっている姿に胸が熱くなりました。
中国電力の人が「事故は絶対起こしません」と言うと、映画を見ている会場から失笑が…。
福島原発事故の後、映画を見ている私たちには白々しく聞こえました。
また、スウェーデンでの取り組みを見て、原発ゼロ、再生可能エネルギーへの転換こそ、未来に希望が持てる日本になると確信しました。
ぜひ、この映画を多くの人に見てもらいたいです