2011年12月31日

今年一年ありがとうございましたm(_ _ )m

いよいよ今年もあと4時間を切りました。

今年一年、お世話になり、ありがとうございましたわーい(嬉しい顔)

さて、「私の5大ニュースぴかぴか(新しい)」の発表です。

@「東日本大震災と原発事故」ですね、やっぱり…。

まず、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。

原発事故で、国民の意識、市民の意識が大きく変わり、これまでの隔たりを越えた繋がりができ、学習会や集会などが活発に行われるようになりました。

原発に感心を持たれる方が増えて、県外から原発学習会、原発学習ツアーの講師依頼など求められるようになり、とても忙しい一年でした。

また、議会での活動も大きく変わりました。

無所属議員と共同で意見書案を提出したり…。

そうそう、「原発を考える福井県女性議員の会」もできましたよ手(チョキ)

岩手にボランティアに行きましたが、その時、見聞きしたことが私の活動の糧になりました。

来年も精力的に頑張りたいと思います。

まずは、3.11原発ゼロをめざす集会の成功のためにがんばります!

A「いっせい地方選挙」です!

応援して頂いた皆様のおかげで4期目当選を勝ちとることができました。

福井県議会では、四年間、議席が無かった日本共産党議席を回復することができました。

また、女性県議が2人誕生し、「福井県女性議員の会」に嶺南の町議が入会されるなど、会も活性化されました。

B「要求実現」かな?

2011年度は、市議会の一般質問で取り上げてきた「小規模修繕契約制度」や「米飯給食の拡大」など、また、消防組合議会の一般質問で取り上げてきた「消防職員のヨウ素剤配備」「消防職員の増員」などなど…実現しました。

粘り強く求め続ければ実現する、そうあらためて実感しました。

ちなみに、消防職員のヨウ素剤が配備されたのは2月末。

東日本大震災の支援で消防署の職員が3月12日に岩手に行くとき、自前のヨウ素剤を持って行くことが出来たと感謝されました…良かったです。

そうそう、消防団が鳶隊と共に女性消防団員の採用が評価されて国から表彰されたそうですが、女性消防団員については「女性消防団員の採用と消防団員の定員増」を消防議会の一般質問で取り上げて実現したことなので、私も少しは貢献できたかなぁ? 良かったです手(チョキ)

C「平戸へ両親と帰りました」…。

8月のお盆過ぎ、大阪に住む、介護が必要になった74歳の父とまだまだ元気な72歳の母を連れて、両親の田舎である長崎の平戸へ帰りました。

父にとっては「もう、これが最後」…。

父や母がそれぞれの母親や兄弟と別れの言葉を交わし、「思い残すことがないように」…と、心に残る旅行になりました。

その後、秋に、母の長兄が亡くなりました。

母から、「あんたらのおかげで生きてる間にお見舞いに行けたし、ありがとう」と言われ、無理しても行って良かったと思いました。

D「銀婚式」ですかね〜?

12月に結婚25周年を無事?に迎えることができました。

金婚式まであと25年…exclamation&question

私の生命線短いんですけど…長生きしなきゃねたらーっ(汗)

みなさま、どうか来年もよろしくお願いします晴れ
posted by きよこ at 20:39| 日記2010.10〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「被爆者医療から見た原発事故」という本

今年は大掃除しないことに決めたし、議会便りも年内発行は諦めたし…。

本当は他にもしなければならない事があるけれど、昨日(3日)は午前中、体調が悪く外出できる状態ではなかったので…(以上、言い訳たらーっ(汗))。

読みかけで、「どうしても今年中には読んでしまいたい!」という本本があったので…30日は午前中、一気に読んでしまいました。

8月に長崎で開催された原水爆禁止世界大会に行ったとき買った本「被爆者医療から見た原発事故」です。

著者ペンは、広島、長崎の被爆者2000人を診察してきた神戸の民医連のお医者さん郷地秀夫氏(神戸健康共和会・東神戸診療所所長。兵庫県保険医協会副理事長)。

原爆と原発事故と比較してわかりやすく書かれていました。

まず、原発と原爆のエネルギーと核燃料、放射性物質。

福島原発事故の被曝は原爆に比べてたいしたことがないと思われているが、原子炉建屋内の核燃料、放射性物質の量は、広島原爆の1万倍以上だとか。

そして、初期放射線被曝と残留放射線被曝。

核分裂を起こした瞬間(1分以内)に出るのが初期放射線で、α線、β線、γ線と中性子線の4種類。

α線は数センチ、β線は数メートルしか飛ばないけど、γ線と中性子線は数キロ、原爆でも3キロ前後飛んだそうで、原爆ではγ線と中性子線だけを測定し被曝線量として評価されてきたそうです。

1分後に放出されるのは残留放射線で、α線、β線、γ線の3種類。

中性子線は核分裂で出るので、残留放射線には無いそうです。

でも、残留放射線には誘導放射線というのがあって、中性子線にあたった物質が放射性物質に変わるという性質があり、そこから出るのが誘導放射線だとか。

広島、長崎では、原爆によって、草木も、町のすべてが…人間の体さえもが(ナトリウムがナトリウム24へ、リンがリン32へ…)放射性物質へと変えられてしまったそうです…恐ろしいし、悲しい…。

当時、残量放射線はほとんど影響がないと考えられていたため、原爆が投下された時、爆心地から何キロにいたか、どんな状況であったか等が被曝線量の全てという評価がされ、また、放射線の測定についても、爆弾投下直後に測定されておらず、台風の後、しかも数カ所のみで十分ではありませんでした。

こうして出来たのが、原爆線量の評価基準です。

更に、驚くことに、放射線がどれだけ人体に影響を及ぼすか研究をしたABCC(原爆障害調査委員会)は、爆心地から3キロメートル以遠にいた遠距離被爆者を被曝線量ゼロとし、2,5キロメートル以内にいた被曝者と比較して、病気や症状の発生率の差を求めて放射線の影響を調べ、そのデータを使ってICRP(国際放射線防護委員会)の放射線管理基準を作ったそうです。

だから、実際には被爆者同士を比較してるため、当然、放射線の影響は低く見積もられているというわけで…怖いあせあせ(飛び散る汗)

そして、内部被曝と外部被曝。

α線、β線はあまり飛ばないけれど、線量が少なくても生物学的に大きな影響を与えるそうで、α線はγ線の20倍だとか。

ところが、体内のヨウ素131、セシウム173、ストロンチウム90等が出すα線、β線は飛ぶ距離が短いためにホールボディーカウンターでは測定されず、体表面上のβ線しか測定されない…。

骨に集中しやすいストロンチウムのβ線も難しい…。

α線、β線の内部被曝は尿検査で検査するしかないそうです。

などなど(もっといろいろ書いてました)…読んでいて恐ろしいと思いました。

さて、原爆投下後一ヶ月目に亡くなった被爆者の臓器標本が60数年たってもプルトニウムのα線を出し続けているのに、国は、岡山地裁で争われた原爆症認定訴訟で「内部被曝の影響は無視し得るというのが確立した科学的知見」と…がく〜(落胆した顔)

国は、10年後、20年後、30年後に発症した福島原発事故の被曝者に対し、同じような事を言うのだろうか…exclamation&question

「原発事故とは無縁」と…exclamation&question

そう言わせないためにも、広島、長崎の被爆者援護の運動とも連帯してがんばらなくてはダッシュ(走り出すさま)と思いました。

ぜひ、みなさんも読んで下さいexclamation

本「被爆者医療から見た原発事故」(かもがわ出版)1000円+税
posted by きよこ at 12:48| 原発関連2010.10〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする