163名の参加だとか。
講師は、福島んの医療生協組合のわたり生協病院医師の斉藤紀先生でした。
遅れて会場に入ると、まだ始まったばかりなのか、事故を克服する立場での講演ということで、絶滅危惧種の「ミズアオイ」の青い花が一面に咲いている風景がプロジェクターで映し出されていました。
2012年09月17日
福島の医師がフクシマを語る(第一弾)
15日は福井市のフェニックスプラザにて医療生協主催の講演「福島の医師がフクシマを語る」がありました。
午前中は、映画「いのちの作法」の実行委員会だったので、それが終わって大急ぎで福井へ…。
ところが、フェニックスプラザに着いたら…すっごい人。
後から知ったのですが、AKB48のコンサートが同じフェニックスプラザであったそうです。
近くの駐車場は満車で、ぐるぐると車を停めるところを探し…離れたところへ停めたため、講演には遅刻してしまいました。
さて、会場に入ったらこれまたすごい人。
「ここには咲いていなかったミズアオイが、津波で地面がはぎとられ、過去の地層のなかにあった種が開花しのだろう」とのことでした。
さて、福島第一原発から20キロ圏内には、21万人が住んでいたそうです。
その中に、病院が7つ、老犬施設が3つ、特別養護老人ホームが6つ、グループホームが6つあったそうで、避難は簡単ではなかったそうです。
21万人のうち、15万人が避難しましたが、県外が6万1000名、そのほとんどが自主避難で、1万1000名が知人、親族の家で避難生活を送っていて、心身疲労が激しいそうです。
今年の8月21日に発表した震災の死亡者1263名のうち、6割の761名が福島の方だそうで、直接の原発事故の放射線被曝による死亡ではないけれど、原発関連での死亡となっています。
避難生活で最も苦しいのは、二重生活による経済負担。
父をおいて、母が子をつれて避難している例が多いとのこと。
国の指示以外の自主避難には東電の補償外のため、住民票をおいたまま避難している方も多く、避難先で行政サービスが受けられないというケースもあり、難民としての苦しみがあるそうです。
また、東電が賠償金を支払ったのは520件で申請のわずか13.7%(2012年9月)。
約束の期日や金額を守らないなど東電の対応があまりにひどいため、文部科学省のもとにある原発ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)でさえ東電に抗議するほどだとか。
また、昨年12月からの動きとして、「精神と財物の賠償の基準策定」「中間貯蔵地選定」がすすめられていて、おなじ自治体でも、120万〜600万の色分けがされて、住民の反目もうまれているそうです。
その他、被爆線量の可視化の必要性などなど…話され、あっという間に時間がたちました。
「福島が本当にスクッと立つには、農業や漁業などの第一産業だ。みな、苦しいけれど、ほこりは失っていない」との話には胸を打たれました。
10月27日にも敦賀市男女共同参画センターで、講演「福島の医師がフクシマを語る」(第二弾)を行います。
ぜひ、多くの方に参加して頂けるよう、声かけをひろげていかなくちゃ〜