2017年04月18日

16日〜18日、大阪へ

16日、京都へ会議で行き、そのまま足を伸ばし、父が入院している大阪の病院へ。

寝ているのか、目を閉じていましたが、「お父さん!」と声をかけるとうっすら目を開けました。

返事はありませんが、孫の動画を見せたりして一方的にお話ししている間、ずっと目を開けてくれていました。

その後、実家へ。

母は明るく振るふるまってましたが…回復の見込みは無い、生きているのが不思議なんて医者から言われ、母も覚悟を決めている様子。

布団を並べて夜遅くまでおしゃべりしました。

17日、父がベランダで育てていたブドウに新芽が出て、リンゴ花も咲いていたので写真にとって見せてあげました。

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18日、帰る間際、「お父さん、敦賀に帰るからね」と声をかけると、それまで反応が無かった父の肩が、ピクッと揺れてビックリ。

父は元トラックの運転手でプロだったこともあり、いつも私の運転を「怖い」「危ない」と心配していました。

私「大丈夫、安全運転で帰るからね!」と…

お父さんの前で泣いたらあかんと思いながら…涙💦


父を通して、医療制度の現状を身をもって知ることができました。

9月下旬にくも膜下出血で倒れ、3回目の手術で11月下旬に意識が戻り、12月に回復期病棟へ移され、リハビリ中心の生活。

「トイレに行きたい」と言っても、「おむつにしてください」と言われ、トイレはリハビリの時間に1日1回。

「しんどいから寝かせて欲しい」と言っても、4時間も5時間も車イスの上。

食事を飲み込むことが難しくなっているのに、「全部食べなあかんよ」と口に押し込まれてゲェゲェ…。

どんどん食が細くなり、体力を無くし、あげくインフルエンザにかかり、意識もうろう…。

2月中旬、「ここでは内科的治療はできないから療養型病床の病院へ」と言われ、移った先の病院で「栄養失調」と診断され、点滴で栄養を摂ることになり今に至る…。

なぜ、前の病院では栄養失調になる前に点滴してくれなかったの?

病院関係者に聞いたところによると、回復期病棟では点滴はできないらしい…。

ということは病院でなく、医療制度の問題…💨

医療費削減のためナントカ病床、ナントカ病棟とか分けられ、保険点数の中での限られた治療しか受けられず、せっかく手術で助かったのに、みるみるうちに弱っていった父…。

これがもし天皇だったたら、保険点数とかナントカ病床とか関係なく、命を救い治すための最善の最高の治療が受けられるだろうに…

悲しいけど…とりあえず今は、母や私たち家族みんなのために1日でも長く生きて欲しい…祈るのみです。

posted by きよこ at 22:00| 福井 ☁| 日記2015.09〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする