午後からは、小浜へ。
学習会「福島事故と7年目の現在」に参加しました。
原発事故により、浪江町から避難されているお二人の方のお話しをお聞きしました。

今野さんは、原発労働者で、事故時は女川原発で働いていたそうです。
ちなみに、もんじゅでも働いてたそうです。
現在、福島市に避難し、こども脱被ばく裁判の原告をされているとのこと。
避難指示が解除になっても、家の前の汚染が酷く(基準の5、60倍)、子どもを守るために帰れないそうです。
賠償金はもらっても、完全には賠償されない。
家を解体するにも3年待ち、倒壊しそうな家が優先。
森林火災があったが、住民に知らされたのは2日後。
放射線で汚染された木々が燃え、灰になり放射能が濃縮し、飛散した。
また、原発事故時の様子、もんじゅでの仕事のことなど、原発従事者ならではの専門的なお話しをお聞きしました。
最後に「子どもたちは子どもたちを守れない。子どもたちを守るのはおとなたちの責任であり義務である」と。

菅野さんは兵庫に避難されています。
「賠償もらって金儲けしてる」と親が話すのを聞いた子どもたちが、社会悪である避難者の子どもを正義感でいじめている…。
みなさんは3.10以降も同じ暮らしをしているが、私たちは3.10に続く明日を無くした。
ヨウ素剤はお守りのようなもの。
火事に備え消化器を持っているのと同じ、原発事故に備え、ヨウ素剤を配備するのは当然。
原発を容認して来た社会の責任として、事前配備すべき。
原発事故が起き、ネットニュースでみんなが避難していることを知り、息子に逃げるよう叫んだが、息子は施設の入居者を守る為に動かず、私も息子を残して避難できず、被曝した。
外国の人は国外へと避難しているのに、私たちは国に捨てられたと感じた。
屋内退避では、換気扇に目張りをし、暖房も室外機と繋がっているため使えず、部屋の真ん中に固まるよう言われ、恐怖を感じた。
今、兵庫で暮らしているが、黄砂が着いているものを見ると、放射能のようで怖い…この怖さは原発事故を経験ししみついたもの。
福井のみなさんにとって他人事ではない、福島が先に事故を起こしただけ。
福井が先に事故をおこしていれば、私たち福島の人が、みなさん被災者のお話を聴く側になっていた。
…等々、大変、考えさせられるお話しで、ぜひ、敦賀でもお話しをしていただきたいと思いました。
折しも、明日、高浜原発が再稼働されます。
子どもの未来に原発はいりません。
再稼働反対!


夜は、社会保障の申し入れの打ち合わせ会議。
介護保険、国保、後期高齢者医療、生活困窮者支援…先月、議員研修でみっちり社会保障について勉強してきた成果を発揮?
がんばります=3