21日〜23日、7年ぶりに故郷の平戸へ帰ってきました。
20日、昼過ぎに車で敦賀を出発し、
堺に母を迎えに行って、大阪南港へ。
夜7時50分、車ごとフェリーに乗って九州へ。
約11年ぶりのフェリーの旅。
昔は、雑魚寝の部屋は仕切りもなく、
枕と毛布だけでした。
今回、頭のあたりに仕切りができてて
小さいけどお布団もありました。
←母
ちなみに、私が子どもの頃は、
都会から九州へ里帰りする人でいっぱいで、
雑魚寝のカーペットのところもぎゅうぎゅう…
通路も新聞紙ひいて寝る人でいっぱいでした。
寝台列車もいっぱいで、通路で寝た記憶がありますが、
今は新幹線や飛行機もあるし、高速道路もできたし、
時間のかかるフェリーを使う人は減っているようです。
それに…かつて「金の卵」と言われ
都会へ集団就職した父母の世代のみなさまも
高齢で亡くなられたり、里帰りもできないお体に?
そんな中で、少しでも乗客を増やすべく
企業努力されているんだなぁ〜と思いました。
昔は、大きなゲームセンターがあるくらいでしたが、
今は、小さな子どもが喜ぶような遊ぶスペースも。
電気自動車の充電器もありました。
以前と比べ、とてもきれいで快適な船旅でした。
21日の朝8時半、新門司に到着後、
高速を使って約3時間半で平戸に到着。
平戸大橋を渡ると、帰って来た💕と実感。
私が通っていた長崎県立猶興館高等学校と
その向こうに平戸城が見えます。
平戸市役所の前に幸橋、別名「オランダ橋」。
その向こうに見えるのが市役所。
今回の帰郷は、平戸の家を処分するためなので
市役所と司法書士事務所を行ったり来たり…。
「市役所なんて行った記憶が無い、初めて」と母と私。
普通、そんなもんかも〜
遅くなったけどお昼ご飯に、平戸ちゃんぽん。
美味か〜懐かしか〜💕
商店街は、観光地仕様に改装され昔の面影がない💧
それなのに、私がいた頃の、昔の賑わいがない💧
人口減少の中でも、同じようにドラッグストアが乱立し
寂れていく商店街。
観光に生き残りをかけ、
商店街や観光地の観光開発に税金を注ぐ行政。
でも、市民の暮らしとはあまり関係のないから
市民の受け止めは「市は何をやってるんや〜」…って、
いっしょやなぁ〜💧
観光開発だけでは賑わいは作れない…と、あらためて
市会議員として勉強させてもらいました。
さて、3年前、母方の祖母が、
昨年、父方の祖母が亡くなりましたが、
議会中で葬儀に参列できませんでした。
それぞれの仏壇に手を合わせ、お墓参りも行きました。
お寺にお参りに行って、
ついでに隣のカトリック教会へ。
ここも観光地「隠れキリシタンの里・平戸」らしく?
いろいろなものが造られていました。
ここでも、ついつい、市会議員の目でチェック。
親戚周りをし、夜中まで親友と語り合い、
23日、いよいよ、平戸とさよならです💦
お土産を買いに街に出ると、商店街で軽トラ市。
軽トラ市って…軽トラを売ってる?と思ったら、
商店街の道路の真ん中にズラッと並んだ軽トラで、
つけもの、お菓子、植木、おもちゃ、アクセサリー、
お寿司…等々、販売してて、面白い💓
なんとか賑やかさを取り戻そうとがんばってる❗
カスドースや牛蒡餅の老舗の社長、
平戸城の横の亀岡神社の神主さんなど、
地元でがんばってる同級生とも偶然再会。
30数年、空き家でボロボロで住める状態では無いけど、
でも、家があるかぎり平戸は「故郷」。
家が無くなったら、故郷が無くなる…💦
そんな寂しさを感じながらの帰郷でしたが…
家は無くなっても、帰れば、友達や親戚、
そして島が一望できる川内峠の大自然が
私を暖かく迎えてくれる❗
故郷は人であり、変わらぬ景色なんだと思いました。
さぁ、平戸大橋を渡るともう引き返せない💦
また、帰って来るよ❣️と心に誓いながら渡りました。
23日の夜、新門司港からフェリーに乗りましたが、
出航の時、警備してた人、車を誘導していた人、
事務をしてた人、みなさんが誘導灯を持って、
お見送りに出てくれました。
いつまでも、ずっと、振られる誘導灯…✨✨✨
昔は無かったし、行きの南港でも無かったなぁ〜
これも企業努力?と思いつつも、涙、涙、涙…💦
必ずまた、ここのフェリー使って帰ってくるよ〜💦
今回は、家を処分することもあって、
父親のこと、親戚のこと、故郷のこと…
いろんなことを深く考えさせられました。
いろんな活動をお断りしての4泊5日の旅でしたが、
本当に、良かったです。