先日、病院にお見舞いに行ったとき、
開口一番「限界です」と。
でも、昨年末、年内には…と言われていたので、
年を越せて良かったと思っていたし、
「いえいえ…」と言ったものの、
死を目の前にされたご本人の胸中を思い、
それ以上、何も言えなかった。
一昨年、お会いした時、「会費を払います」と、
原発住民運動福井・嶺南センターの会費を預かった。
「総会の資料をください」と言われたけど、
総会がしばらく開けてなかったので、
その時はわたせなかった。
そのことがとても心残りだったので、
病院に、昨年12月に総会をした資料を持って行った。
「がんばってるね」と満足そうに資料をなでていた。
帰り際、握手を求められ、握手しながら、
泣いてはいけないと思いつつ涙が出た。
坪田先生との思い出で、一番、心に残っているのは、
日本原電敦賀3,4号機の増設について
住民に可否を問う住民投票条例の直接請求運動だ。
先生から署名運動の提起がされ、やるかやらないか、
みんなで喧々額額の話し合いがされたが、
先生の「今、やらなければ」という熱い思いに
説得され、動き出した。
その時、直接請求に必要な1200筆の10倍を超える
署名が集まったけれど、議会ではあっさり否決され、
悔しい思いをした。
その後、先生は、みんなから推され、
増設反対を掲げて市長選挙に出馬。
先生は当選できなかったけど、
「増設は白紙」と公約した河瀬氏が
現職の高木市長を破り当選した。
私は、こうした住民運動が敦賀の世論を盛り上げたし、
河瀬市長に二期目まで「白紙」と言わせた力になったと
今でも信じている。
また、同じ時期に、大阪ガスが
中池見湿地にLNG基地を建設する計画が浮上。
いかに危険か、坪田先生を講師に
何度も学習会をやって反対運動をした。
樫曲のゴミ問題でも、先生は問題提起をされ、
こうした問題など、敦賀の草の根通信で掲載し、
新聞折り込みで市内に配布していた。
選挙の前になると、
候補者にアンケートをして掲載したり、
政務活動費を調査して掲載したり…
当時、私も市議になったばかりで、
議会がピリピリして、功績は大きいと思った。
安倍政権になり、憲法改悪の問題が浮上し、
憲法を守る運動には最後まで尽力されていた。
90歳を過ぎた先生の街頭からの訴えは
いつも心に響いた。


あと、個人的には、私が市議になって、
自分でホームページを作り、
日記(今で言うブログ?)を書くようになった頃、
滞ると、先生から
「書いたり書かなかったりするようなら、
書かない方がまし」とメールが来た。
いつも「先生に叱られる」と慌てて書いている。
思い出はつきない。
後日、先生の追悼集が出るそうで…
それも、先生のチェック入り。
先生らしいなぁ〜
無くなる数時間前まで、
筆談で「平和」と書いていたそうだ。
どうか、ずっとこれからも遠い空から、
日本の政治、敦賀のこと、私たちのことを
厳しい目で見続けてくださいね。