2013年05月31日
吉田一夫さん88歳の誕生日v
30日は党名誉県委員、吉田一夫さんの88才の誕生日
戦前の教育で「軍国少年」だった吉田さん、志願兵として戦地へ行きましたが、20歳で終戦を迎え、その後、すぐ、日本共産党員として反戦平和の運動の先頭に…。
戦後、アメリカの占領軍が松原で婦女暴行事件をおこし、市民が不安に怯えていた時、24才の吉田さんは、勇敢にも「淫獣荒れ狂う敦賀の町」と抗議の宣伝をして、占領政策違反で逮捕されるなど、人権を守る闘いの先頭に立ってこられました。
自衛隊誘致で盛り上がる敦賀市会議員のリコール運動もやりました。
29才の時、敦賀市が粟野と合併した初めての市議選に立候補し、2位で当選
福井県で初めての日本共産党の市会議員になりました
ちなみに、3位は今の有馬市議のお祖父様で、「吉田君に負けたなぁ」と言われたとか…。
その後、県議選挙、参議院選挙と繰り返し立候補し落選してましたが、なんと46歳で県議に初当選
これまた、福井県で初めての日本共産党の県会議員になりました
その後、また落選し、参議院選挙、県議選挙、衆議院選挙…と、ねばり強く立候補し続けた吉田さんです。
ちなみに、夏に松原海水浴場で浜茶屋やってますが、戦後、一番に浜茶屋を出したのも吉田さんだそうです。
戦後、国鉄に就職するもレッドパージでクビになり、駅前で飲み屋「ふるさと」をやっていた吉田さん。
その「ふるさと」と河瀬市長のお父さんの「ミモザ」と沢の方のお店、三軒が今の浜茶屋の始まりだそうです。
また、ラーメンも敦賀では吉田さんが一番だとか。
名古屋から毎日、ラーメンの麺を仕入れ、「ふるさと」でラーメンを出したら大好評で行列が出来たそうです
逸話の宝庫、吉田一夫さん、昨年の正月過ぎ、脳梗塞で倒れましたが、今も「わしゃ100歳まで生きる」と笑顔でがんばっておられます。
ずっと、私たちの前を歩いて行って欲しいです
…それにしても、吉田さんが100歳になったら、私は61歳かぁ〜