2013年09月08日
キラッキラ☆の永年党員v
7日は、午前中、議会報告「こんにちは!山本きよこです」と党市委員会の新聞「敦賀の旗」を町内約300世帯に配布してたら…雨が降ってきました
その後、体調悪いなぁと思ったけど、福井市で開催されている党の会議へ。
そしたら…な〜ンと 永年党員証を頂きました
県委員長と握手
永年党員とは、入党して30年たつ党員のこと
高校を卒業して、18歳で日本共産党に入り、あれから30年もたつのか…感無量
私が日本共産党に入ったのは両親の影響です。
父は私は幼稚園の頃、大阪で公害反対の運動をしたことを理由に会社を解雇されました。
当時、大阪は公害が酷く、私はしょっちゅう高熱を出していました。
父の会社の組合は同盟系で、父は委員長をしていたのですが、組合の本部は相談にのってくれず、逆に「会社を首になったやつは関係ない、出ていけ」と追い返されました。
そして、日本共産党の弁護士にお願いし、解雇撤回を求め裁判をしました。
一年後、裁判で勝利し、職場復帰した父は、「日本共産党こそ、労働者の味方や」と、自民党を辞めて日本共産党に入党しました。
そして、会社の組合も、同盟系をやめ総評系に変えました。
母は、解雇された父が、アルバイトで生活費を稼ぎながら、裁判闘争をやりながら、「子ども達のために」と、公害反対の署名を集めていることを知り、「お父さんだけに任せておけない。私も手伝うわ」と隣近所一軒一軒、署名に回りました。
そして、幼稚園児の私と弟、1歳だった妹を連れ、どんどん遠くへと足を伸ばす母。
私も、母が署名を書いてもらっている次のお宅へ行ってドアを叩きながら、「公害反対の署名をお願いします」とお手伝い
思えば、これが私の活動の始まり
この署名運動で、母は、新日本婦人の会(新婦人)と出会い、平和運動、消費者運動、近所に郵便局を作らせる運動、学校にプールや体育館を作らせる運動などなど…さまざまな運動に取り組み、日本共産党に入りました。
両親から、「日本共産党は、貧富の差がない、男女平等で平和な日本にするためにがんばってるんやで」「日本共産党は他の国の共産党とは違うから、『日本』がつくんよ」とか…子どもの頃から聞いていたので、ハナから「中国やソ連と一緒」とは思ったことが無く、「18歳になったら日本共産党に入るのが夢」でした。
で、18歳で入党し、夢を叶えました
あれから30年…アッと言う間でした。
さてさて…永年党員になったからと言って、特別何があるわけでもなく…。
昔は、永年党員になったら「赤旗まつり」の入場券が無料という特典があったけど、今では党内も高齢化で永年党員だらけ…。
赤旗まつりの「無料」の特典もなくなってしまった…
とりあえず健康に留意し、20年後の「50年党員」を無事に迎えられると良いなぁ
がんばります