16日、朝5時半過ぎ、防災ラジオのけたたましい放送で起こされました。
笙の川周辺10地区に避難勧告が出たことを知らせる放送でした。
9.15集会の疲れをとって議会の徹夜に備えるため、しっかり睡眠をとる予定でしたが…寝ている場合じゃありません…
エイヤ〜
と気合いを入れて、台風
の中、河川の様子を見に行きました。
笙の川、井ノ口川、黒河川、助高川、木の芽川…。
笙の川では、道路まであと少しのところまで川の水が溢れていました。
消防隊や消防団のみなさんが土嚢をつんだり作業をされていました。
市役所の職員が広報車で避難を呼びかけていました。
長崎にいたとき(1982年)、死者行方不明者299名にのぼる長崎大雨災害があって、高校の先生が、「満潮だったから被害が酷くなった」と言われていたのを思い出し、河口付近へ行ってみました。
笙の川の水が、どんどこ海へ流れて行くのを見て、ちょっと安心…。
避難所の男女共同参画センターの体育館には次々と避難者が…。
朝4時に担当者は招集がかかったそうで、水や毛布など運び込まれていました。
体育館の中が暖かくてホッとしました。
町内の方が、家の裏の助高川が怖いと言っておられるのを思い出し、粟野子育て支援センターの裏を見に行くと、支援センターにも避難所でも無いのに早朝から職員が集まっていました。
助高川の様子を見ているとのこと。
職員総出なんや
…とビックリしました。
市内の所々、土砂災害があり、通行止めになっている道路がいくつもありました。
そうこうしているうちに、黒河地区にも避難勧告が出ました。
市の避難勧告を知らせる広報車が回っていました。
ひとり暮らしの高齢者のお宅へ顔を出すと、「区長がまわってきた」とのこと。
町内の見守りがちゃんとされていることを知り、一安心。
避難所の粟野公民館に行くと、まだ避難者は誰も来られていませんでしたが、自分の身体が冷え切っていたからか、ここも暖かくてホッとしました。
市野々の河川が陥没したとの情報で、見に行くと、地域の方が見守っておられました。
そうこうしているうちにガソリンが無くなりガソリンスタンドへ。
消防団の消防車もガソリンを入れていました。
朝5時から活動されているとのこと。
「水位が下がってきて安心」とのお話をお聴きし、一安心。
10時半から町内の老人会の赤飯配り、その後には高齢党員の赤飯配りが待っているので…また気になるところを見ながら家に帰りました。
娘があったかいコーヒー
を入れてくれて…ホッとしました。
さて、私が何をしたという事は全然、何も無いのですが…行く先々で、市や消防の職員、自衛消防団、地域の役員さんなどなど…たくさんの方が河川の見守り、地域住民の見守りなど活動されておられる姿を見ることができ、敦賀も捨てたもんじゃ無いなぁ
と思いました。
心配された笙の川や助高川も大事に至らず一安心ですが、杉津や疋田で土砂崩れで通行止めになりました。
それによって市内も渋滞に…。
こんな時に大地震、原発事故なんて起きれば…とんでもなく大変ですが、それでも全く無いとは言いきれません。
避難道として8号線の整備が求められています。
また、床下浸水など数件あったり、自動車も冠水したり…被害があったようで、今後の対策が求められています。
あと…美浜、若狭、小浜もひどい災害となってしまいました。
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。