8月7〜9日、長崎で開催された原水爆禁止世界大会に、敦賀の新婦人の代表として参加しました。
7日の開会総会は世界各国や日本全国から6000人が参加しました。
今年は7月に国連で核兵器禁止条約が採択されて最初の大会。
そのため、例年より参加者も多く、活気にあふれていました。
まず、安斎育郎さんが主催者を代表してあいさつ。
「核兵器禁止条約が国連で採択され、理想が現実となった。だが、核兵器禁止条約はパワフルな条約だが、パーフェクトではない。条約をパーフェクトにするために、核保有国と同盟国の政策を変更させ、核兵器廃絶の道を歩もう」。
国連軍縮担当上級代表の中満泉さんのあいさつ。
「核兵器禁止は軍縮のひとつ。核軍縮のため、新しい国際関係、対話が必要」。
そのほか、田上富久長崎市長、被爆者のあいさつもあり、胸をうたれました。
7日の夜、敦賀に大雨が降り、敦賀からの参加者一同、災害情報に釘付けになりながらも、帰るに帰れず…連絡を取りあいながら寝たような寝てないような夜を過ごしました。
その後、笙の川の水位も下がり、とりあえず一安心。
8日、私は、分科会「非核平和の自治体づくり」に参加しました。
まず、非核「神戸方式」のお話。
以前、神戸港に米軍が入港していた頃、神戸では、麻薬や武器の横流しが横行。
コレラ、米兵による発砲、買春、市民への暴行など事件が多発していたそうです。
神戸市民が立ち上がり反対運動する中で、安保条約に反対する議員が神戸市議会で多数になり、全会一致で「核兵器積載艦艇の神戸入港拒否に関する決議」を採択。
そして、それから42年間、アメリカ軍の艦船の入港はゼロだそうです❗
その後、ニュージーランドも核兵器積載艦艇拒否の非核法を制定するなど、非核「神戸方式」は世界に広がっています。
核兵器禁止条約が国連で採択されましたが、今後、核の傘に固執すする日本政府にいかに条約を批准させるか、それは各自治体の草の根の運動にかかっています。
私も、市民の中に「核兵器=原発」が根強くある原発立地での新婦人の原爆パネル展の取り組み、署名行動など報告させていただき、これからも頑張る決意を述べさせていただきました。
分科会の後、新婦人のみなさんをお連れし、原爆資料館に行きました。
小さな子どもの遺体の写真、溶けたガラスに張り付いた手の骨…など、涙なしには見れません。
でも、目をそらさずしっかり見て「こんな残酷なこと、絶対に許したらあかん!」…それが核兵器廃絶の力になります。
現在、敦賀市主催で市内で資料展が行われていますが、ぜひ、多くの方に見て頂きたいと思いました。
夜は、「女性のつどい」に参加しました。
日本全国のみならず、アメリカ、オーストラリア、マーシャル諸島、フィリピン、韓国、ベトナム、ネパール、インド、ドイツ、フランス、イギリス、エジプト、ヨルダン、レバノン、パレスチナ、チェニジアなどから40人超える参加があり、総勢700人の参加です。
核兵器廃絶の取り組みなど報告し交流しました。
命を生み出し育てる女は強し❗ 元気をもらいました。
9日、最終日は、閉会式の前に平和祈念公園へ。
雨の中、敦賀のみなさんから託された折り鶴を奉納してきました。
厳重な警戒で、金属探知機だけでなく、手荷物の中もチェックし、ゼッケンははずし一時預かり。
平和を愛する私たちがテロ扱い…? 嫌だなぁ〜💦
その後、世界大会の閉会集会に参加。
この日は7000人の参加がありました。
11時2分に黙祷をし、核兵器廃絶のために運動を進めていくことを確認し合いました。
今回、福井の新婦人、敦賀の医療生協の参加者は初めての方が多く、大勢の参加者の中で迷子にならないように気をはりましたが、無事、一人の迷子者もなく、ケガも病気もなく帰って来れて、ホッ💨
敦賀では、27日午後2時から、医療生協組合員ルーム「晴ればれ」で報告会を予定しています。
敦賀での報告会は初めてで、映画会も合わせて開催します。
ぜひ、多くの方に参加して頂けるよう実行委員会一同がんばります❗