2020年11月03日

「人道の港敦賀ムゼウム」リニューアルオープン

人道の港敦賀ムゼウムの

リニューアルオープンの式典に参加しました。


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2017年、敦賀市は、新幹線開業をみすえた観光のため、

政府の景観まちづくり刷新事業に手を挙げ、

採択されました。


そして、11億円かけて、かつて港にあった

敦賀港駅舎、ロシア義勇艦隊事務所、大和田回漕部、

税関旅具検査所の外観を復元し、

中を「人道の港敦賀ムゼウム」の資料館に。


敦賀市議会では、目的は観光か平和教育か、

運営は指定管理者か直営か…ケンケンガクガク。


私たち党議員団も、

身の丈以上の観光開発、

公共事業として反対してきましたが…

完成し、ついにオープン。


今後は市民の負担とならない運営を求めるとともに、

展示等についも改善を求めていきたいと思います。



さて、セレモニーでは、イスラエルやリトアニア、

ポーランド、アメリカ、オランダの大使官などが来敦、

来賓の挨拶をされました。


テープカットと風船飛ばしでは、

敦賀大使の大和田伸也さんも。


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金ヶ崎緑地では、9月議会で計上された

誘客多角化促進事業(2670万円)による鉄道イベント、

音楽イベント、飲食ブースなどあり、

大勢の親子連れで賑わいました。


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リニューアルオープンの式典の後、

1時半からきらめき港館でシンポジウムがありました。


基調講演は、ポーランド広報文化センター所長

マリア・ジュラフスカさんによる

「敦賀がつないだ、人と命〜シベリア孤児受け入れと

ポーランド・日本間の友好関係について〜」


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ポーランドは、かつて3つに分断されていましたが、

1918年、独立回復し、日本は翌年、国交樹立しました。


1920年、ポーランド孤児を日本が受け入れ、

1940年には杉原千畝氏のビザで敦賀に上陸した

ユダヤ難民を暖かく迎えたということで、

親日国であり、高校や大学で日本語を教えるほどだとか。


お話しも良かったですが…

ポーランド広報文化センター所長が

若い女性でビックリしました。


日本だと、「長」がつく肩書きの方は

男性か、女性でも年齢は定年前くらい?


日本のジェンダーギャップ指数が

世界的に低い現実を突きつけられた思いがしました。


パネルディスカッションは

「手渡されたいのちのバトン〜ポストコロナの未来へ、

人道のまち敦賀からのメッセージ〜」と題し、

ホロコースト教育資料センターの石岡史子さん、

コモン・ニジェール代表の福田英子さん、

こども国連環境会議推進協議会事務局長の

井澤友郭さんによるお話でした。


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お話の中に、人権、子どもの権利、SDGs…等々、

とても関心の高いワードが並びました。


石岡さんは、

「戦争は突然始まるのでなく、ジワジワとやってくる」

「声を出すことで食い止めることはできる」


福田さんは、

「ニジェールは、世界で一番貧しい国。

ウラン採取国で原発のある敦賀と関わりがあり、

知らない国でも、思いがけないところで繋がっている」

「敦賀で優しくされたというのは過去の話ではない」


井澤さんは

「かつて日本は大勢の難民を受け入れたが、

現在、難民は一万人が申請しているが42人だけ」

「SDGS 世界を変える目標だが、

何を繋いで何を変えていくのか」等々、話され、

「人道とは、他人の幸福のために行動すること」

「喜んでもらうことは負担ではなく、

自分により多くの満足を与える」との

司会の締めの言葉で終わりました。


なかなか、感動的なシンポジウムでした。



その後、大ホールで行われたSDGSのゲームに参加し、

ゲームを通じて、「持続可能な開発目標」に対する

意識の変化、話し合うことの大切さなど学びました。


思いがけず、貴重な経験ができました


posted by きよこ at 23:00| 福井 ☁| 日記2020.1〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする