人道の港敦賀ムゼウムの
リニューアルオープンの式典に参加しました。
2017年、敦賀市は、新幹線開業をみすえた観光のため、
政府の景観まちづくり刷新事業に手を挙げ、
採択されました。
そして、11億円かけて、かつて港にあった
敦賀港駅舎、ロシア義勇艦隊事務所、大和田回漕部、
税関旅具検査所の外観を復元し、
中を「人道の港敦賀ムゼウム」の資料館に。
敦賀市議会では、目的は観光か平和教育か、
運営は指定管理者か直営か…ケンケンガクガク。
私たち党議員団も、
身の丈以上の観光開発、
公共事業として反対してきましたが…
完成し、ついにオープン。
今後は市民の負担とならない運営を求めるとともに、
展示等についも改善を求めていきたいと思います。
さて、セレモニーでは、イスラエルやリトアニア、
ポーランド、アメリカ、オランダの大使官などが来敦、
来賓の挨拶をされました。
テープカットと風船飛ばしでは、
敦賀大使の大和田伸也さんも。
金ヶ崎緑地では、9月議会で計上された
誘客多角化促進事業(2670万円)による鉄道イベント、
音楽イベント、飲食ブースなどあり、
大勢の親子連れで賑わいました。
リニューアルオープンの式典の後、
1時半からきらめき港館でシンポジウムがありました。
基調講演は、ポーランド広報文化センター所長
マリア・ジュラフスカさんによる
「敦賀がつないだ、人と命〜シベリア孤児受け入れと
ポーランド・日本間の友好関係について〜」
ポーランドは、かつて3つに分断されていましたが、
1918年、独立回復し、日本は翌年、国交樹立しました。
1920年、ポーランド孤児を日本が受け入れ、
1940年には杉原千畝氏のビザで敦賀に上陸した
ユダヤ難民を暖かく迎えたということで、
親日国であり、高校や大学で日本語を教えるほどだとか。
お話しも良かったですが…
ポーランド広報文化センター所長が
若い女性でビックリしました。
日本だと、「長」がつく肩書きの方は
男性か、女性でも年齢は定年前くらい?
日本のジェンダーギャップ指数が
世界的に低い現実を突きつけられた思いがしました。
パネルディスカッションは
「手渡されたいのちのバトン〜ポストコロナの未来へ、
人道のまち敦賀からのメッセージ〜」と題し、
ホロコースト教育資料センターの石岡史子さん、
コモン・ニジェール代表の福田英子さん、
こども国連環境会議推進協議会事務局長の
井澤友郭さんによるお話でした。
お話の中に、人権、子どもの権利、SDGs…等々、
とても関心の高いワードが並びました。
石岡さんは、
「戦争は突然始まるのでなく、ジワジワとやってくる」
「声を出すことで食い止めることはできる」
福田さんは、
「ニジェールは、世界で一番貧しい国。
ウラン採取国で原発のある敦賀と関わりがあり、
知らない国でも、思いがけないところで繋がっている」
「敦賀で優しくされたというのは過去の話ではない」
井澤さんは
「かつて日本は大勢の難民を受け入れたが、
現在、難民は一万人が申請しているが42人だけ」
「SDGS 世界を変える目標だが、
何を繋いで何を変えていくのか」等々、話され、
「人道とは、他人の幸福のために行動すること」
「喜んでもらうことは負担ではなく、
自分により多くの満足を与える」との
司会の締めの言葉で終わりました。
なかなか、感動的なシンポジウムでした。
その後、大ホールで行われたSDGSのゲームに参加し、
ゲームを通じて、「持続可能な開発目標」に対する
意識の変化、話し合うことの大切さなど学びました。
思いがけず、貴重な経験ができました