2022年05月22日
レインボー敦賀の勉強会
今日は、レインボー敦賀の
ダイバーシティについての勉強会&交流会でした。
ダイバーシティとは、多様性という意味だそうで、
今回、初めて知りました。
カタカナ、わからない〜💦
まず、レインボーパレートについて説明がありました。
かつて、アメリカでは同性愛を禁止する法律があり、
1969年、ニューヨークのゲイバーに
警察が捜査のため踏み込んだ。
その時、初めて、ゲイバーにいた人が立ち向かい
3、4日立てこもった。
この「ストーンウォール暴動」は、
「LGBTの権利」を求めるきっかけとなり
暴動発生1年を記念してデモンストレーションが行われ
その時のデモが「プライド・パレード」の始まり。
LGBTは、
L=レズビアン、女性同性愛者
G=ゲイ、男性同性愛者
B=バイセクシャル、両性愛者
T=トランスジェンダー、性自認が出生児に割り当て
られた性別とは異なる人
レインボーパレードは…
レインボープライド、プライドパレードとも言うみたい
で、レインボーと言うから7色と思っていたら
6色でした…知らなかった
(シールも持ってたし、バッチも持ってたけど)
最初は8色だったそうですが、
7色とか6色とか色の意味にとらわれず、
グラデーションと言う意味合いで受け止めたら
良いみたいです。
その後、テレビで放映された「逆転人生 魂の解放!
LGBTパレードはこうして生まれた」を視聴しました。
今年90才になる南定四郎さんが、
自分がゲイだと気づいたのは、学生時代。
だが、ゲイは気持ち悪いと差別されることを知り、
自分を偽り、暮らしていた。
まるで、クローゼットの中にいるような生活だった。
そして、親が孫を欲しがっていることを知り、
ゲイであることを隠して結婚。
子どもが生まれたが、
ゲイであることを隠していることが辛くなり、別居。
同性愛者の運動やそれを紹介する雑誌「アドン」を
発行、電話相談の開設など活動をするようになった。
当時、同性愛者は、社会の偏見から逃れるため、
特定のパートナーを持てず、
お互い名前も明かせず関係を持つことが多かった。
こうした中、エイズが流行し、
エイズ=同性愛者という意図的な発表などもあり
ますます、偏見にさらされ、エイズパニックにより、
多くのゲイがクローゼットの中に。
そのため、健全な性交を呼びかけるとともに、
エイズ患者の生活を支える活動をおこなった。
そして、日本初のレインボーパレードを決意。
1994年8月、「今 ここにいる」と書いた横断幕を持ち、
50人でパレードをスタートした。
好奇の目が注がれたが、歩くうちに自信が湧いてきた。
沿道から飛び込み参加もあり、
セクシャルマイノリティでない人も歩き出して
ゴールに着くまでには大行列になっていた。
自分達が歩いてることが認められた、
プライドを持って生きていける、と魂が解放された。
パレードは、魂の解放であり、
クローゼットの中にいるのではない、
私はここに居るんだ、というアピール、
自分らしくブワライド持って
生きていることを祝うもの、とのこと。
私も、デモ行進は子どもの頃から
親に連れられてやってきました。
メーデーとか、平和行進とか、
原発ゼロのデモ行進とか、いろいろ…
でも、生きていることを祝うパレードって
奥が深いと思いました。
その後、歴史のお話しがありました。
19世紀以降、産業化により労働力の必要性が高まり、
生殖に結びつかない性関係を法律で規制、
同性間の性行為が研究の対象に。
同性愛者は「病人であり、治療の対象」となった。
日本にも昔から男色文化があったが、
そうした文献が輸入され、西洋と同じ考えが定着した。
その後、ストーンウォール暴動によって、
ゲイの解放運動が広がり、日本でも組織化された。
ところが、エイズが流行し、
メディアはゲイ男性の感染を大きく取り上げ、
差別が深刻化。
南定四郎さんが、IGA(国際ゲイ協会)日本支部を
発足し、活動を進める。
1994年、日本初「東京レズビアン・ゲイ・パレード」。
その後、全国に広がっている…等々。
その後の交流会では、
カミングアウトしてない人は8割おられるそうで、
同性婚の権利を社会や国家がみとめることで、
周りも変わってくるし、
社会の側を変えて、誰もが自分らしく、
ありのままに生きていけるようになれると良いね、と。
また、日本では、異性愛者?と違い、
同性愛者には一緒に暮らした場合の社会的保障、
サポートがなく、権利が奪われている。
結婚という選択肢がないのはおかしいし
同性婚を認めさせていく運動をしている団体もある。
私は、以前、LGBTの勉強会で、
心と体の性別が一致していないトランスジェンダーで
「トイレに入りづらい」という悩みが多い、と
お聞きしていたので、どんなトイレだったら良いのか?
と、質問したところ…
ソフト面では、本人にどうしたいか聞くなどの配慮、
また、周りの私たちも、理解をすることが必要、と。
ハード面では、障がいのある方など、あらゆる方に
対応した完全個室のトイレの整備、と。
海外や日本でも、工夫しているトイレがあるそうで…
大変、勉強になりました。
さて、歴史やみなさんのお話しをお聞きして、
人権について、あらためて考えさせられました。
本当は日本国憲法で人権は保障されているのに
それができていない今の日本…残念です。
憲法をいかし、本当に人権が守られ、
1人ひとりの人権が大切にされる社会に
する必要があります。
同性愛者に限らず…
思想がどうの、宗教がどうの、障がいがどうの…
こうした、あらゆる差別がなくなって、
みんなが生きやすい社会にしたい!と思いました。
ちなみに、レインボー敦賀を立ち上げた方は
敦賀出身の方。
会合の会場は毎回、ムゼウムだそうで、
なぜ?とお聞きしたところ…「人道の港」だから、と。
ユダヤ難民などをあたたかく迎えた人道の港。
多様性を受け入れる敦賀…
本当にそうであって欲しいですね。
次は、7月16日だそうです。
また、行けたら人を誘って行きたいです。