27日は、熊川宿へ。
「『新しい戦前』の今 地域の『古い戦前』展」で
平和遺族会の方がお話をされる、とお聞きし、
敦賀から4人で行ってきました。
平和遺族会の方は、勝山の方で、
過去の資料、戦地に届いた手紙などから、
当時の様子を私たちに伝えてくださいました。
日中戦争の当初は、
中国は、兵器も兵士も充分ではなくて、
日本にとって勝ち戦。
遠足に行くかのように戦争に行って、
中国人を殺し、女性を襲い、金品財宝を奪い、
勝利品をお土産に持ち帰ったりしたそうです。
戦況が悪化するようになると、
召集令状(赤紙)も、夜中にこっそり
届けられるようになり…
ヒッソリと出兵した人もおられたそうです。
手紙のやり取りも、だんだんと悲惨となり、
検閲で黒塗りにされたり、
「天皇陛下のために死ぬ覚悟」と。
そして、手紙の主は、フィリピンで、
マラリアにかかり亡くなられました。
その方の娘さんも、今日、参加され、
「幼い頃に父が亡くなり、祖父母に育てられた」
「父も母も知らないし、兄弟もいない」
「戦争でお父さんを亡くされた方は、
私にとって兄弟と同じ」と。
胸が痛くなり…涙があふれました。
平和遺族会の方は、
遺族として、顕彰も遺族の福祉も大事だが、
何より、2度と戦争という過ちを犯さないこと、
そのために頑張りたい、と話されていました。
展示されていた昔の雑誌に、
ショッキングな写真が!
新潟県のある小学校で、6年生が、男女一緒に、
上半身裸で授業を受けている姿が…
校長先生も上半身裸で、
精神を鍛えることが目的のようだったけど…
胸が膨らみ始めた女の子たちを裸にして
男子と一緒に授業を受けさせていたなんて、
ありえないし、許せない…
人間の尊厳すらズタボロにするのが戦争だと
あらためて痛感しました。
なお、戦時中の教科書、新聞、書物などなどの
展示は、期間限定のハズが、好評で、
これからも、展示することになったそうです。
時間は、午後1時から4時まで。
たくさんの資料があります。
ぜひ、みなさん、熊川宿へ足をお運びください。
さて、帰りは、敦賀から一緒に行ったメンバーで
古民家の喫茶店で、コーヒーを飲み、
道の駅で買い物をして帰りました。
みなさん、お話も、展示も、買い物も良かったvと。
お誘いして良かったです。