2日目は輪島市です。
途中、崩れた土砂の上にできた
仮設の道路がいくつもあって…
どうか、崩れませんように、と、
祈りながら通りました。

隆起によって使えなくなった漁港では、
地元の方にお話しを伺うことができました。

ご自身の漁港が使えなくなり、
車で船を運び、この港に持ってきたけれど…
一人で漁に出ると危ないので、
出られずにいる、と。
お話しをお聞きしている間、
同じように海岸を見に来ては
帰って行く方が何人もおられ…
胸が痛みました。
その後、朝市が行われていたところなど、
被災状況を見てまわりました。

15年前くらいに、
家族で旅行で来たことがあります。
2007年の能登半島地震の後で、
「震災を乗り越えて、がんばりたい」と
お店の方が言われていたことを思い出し…
涙があふれました。

その後、仮設住宅を訪問し、
支援物資を届けながら、
「お困り事はありませんか」と
尋ねてまわりました。
今月、開所した仮設住宅で、
みなさん、入居したばかり。
震災から今まで大変だったけど、
ようやく家族が1つ屋根の下で
暮らせるようになり、
水もちゃんと出るし、
足を伸ばして寝られる、と
ホッとされている方が多かったです。
でも、台所やお風呂のほか、
10畳ほどの部屋をカーテンで仕切るだけ。
子どもが多いと大変です。
あと…集落ごとに仮設住宅は作られていますが、
自治組織はないそうです。
困ったことがあった時、
支援センターとして駆けつけ、相談にのり、
時として、行政に繋げられるよう
ボランティアの拡充が必要だと感じました。
また、仮設住宅で暮らせるのは2年だけ。
でも、2年なんて、絶対にムリ。
無傷な家なんて皆無じゃないかと思うほど、
倒壊した家がたくさんあるし、
大丈夫そうでも、傾いて住めない家がたくさん。
撤去して、新しい家を建てるなんて、
どれだけの方ができるでしょう…
国や行政の支援が必要です。
さて、今日、ご一緒したボランティアの方は、
東日本大震災の復旧・復興支援センターの方で、
能登の共同支援センターのスタッフとして
しばらく常駐されているそうで…
いろんなお話しをしてくださいました。
東日本大震災の時には、全国から
いっせいに、大勢の方が来てくれたけれど、
能登はボランティアが少ないこと。
能登では、重機のオペレーターが少なく、
復旧が遅れていて、驚いたこと。
また、専門家から聞いた話として、
昔の建物は、瓦の重さで家が潰れないよう、
地震の揺れで、家が揺れて瓦が落ちるよう
筋交いは少なくしてあった。
でも、その後、瓦が落ちると危険ということで、
落ちないように固定する方針に変わった。
そのため、多くの家で瓦が固定されていて、
能登瓦は特に重いので、瓦が落ちず、
家が潰れてしまった、とのこと。
瓦を落とさないよう固定するなら、
筋交いを増やす事が必要でしたが…
古くからの家に住む方は、高齢の方も多く、
様々な理由から、
普及されていなかったのでしょう。
今回のボランティアで、多くの事を学びました。
今後の活動にいかしたいと思います。
そして、夕方6時ごろ、
後ろ髪を引かれるような思いで
能登を発ち、敦賀に帰りました。
家に帰ったら、
たいしたことしてないのに、ぐったり…
でも、能登では、ボランティアが
足りていないことが分かったので、
今度は、みなさんをお誘いして、
みんなで、行けるようにしたいと思います。